和田毅の“許す愛”…電話で伝えた「野球しようぜ」 人間不信の後輩を救った言葉

ソフトバンク・和田毅【写真:藤浦一都】
ソフトバンク・和田毅【写真:藤浦一都】

高橋純平の単独インタビュー「和田さんにつきましては本当にお世話に」

 どん底にいた後輩を、たった1本の電話で救った。今季限りで現役を引退した高橋純平投手を、鷹フルは単独でインタビューした。“人間不信”に陥り、練習に出られなくなっていたことを告白した高橋純。窮地を救ってくれたのは和田毅投手からかかってきた1本の電話だった。和田本人も「電話しましたね」と事実を認める。どんな言葉をかけたのか、そしてなぜ電話をかけたのか。自らの言葉で語った。

 高橋純は2015年のドラフト会議で、県岐阜商から1位指名を受けた。3球団が競合した逸材。誰もが輝かしい未来を疑わず、4年目の2019年には45試合に登板して3勝2敗、防御率2.65とブレークした。しかしその後、1軍では2021年に10試合登板したのみ。今季も1軍昇格はなく、ウエスタン・リーグで29試合登板、防御率4.91という成績に終わった。怪我にも悩まされ、苦悩は続いた中でも「和田さんにつきましては本当にお世話になりました」と感謝は尽きない。

 高橋純自身、プライベートのことで世間を騒がせることもあった。事実とは異なる部分も多々あり、SNSでも誹謗中傷を浴びた。「自分が悪いんですけど、どうしても人間不信のような状態になってしまって……」。心は塞ぎ込み、シーズン中、1週間ほど練習を休んでしまったという。「球団の誰から電話をいただいても、怖くて取れなかった」。練習に出られない、誰とも話すらできない中で、和田からの電話を取った。

 和田は「みんな電話しても出ないって言うので、僕がしたら出てくれるかなって思ったら出てくれたので『おっ』と思いました」と経緯を明かす。高橋純にどんなことが起こっていたのか、何が事実なのか、全ては和田自身も知らずとも、練習に出られていないことだけは耳に届いていた。「すごく大変な時期でしたしね。本人もいろんなことでグッと(塞ぎ込んで)なっている時期でもあったと思います」。電話の向こうにいる高橋純に向けて、どんな言葉をかけたのか。

「誰にでも、失敗しない人はいないと思いますし、そこからどうやっていくかが一番大事、失敗してからが大事だと思うので。迷惑をかけたのかどうか、1人で悩む必要はないと思いましたし。なんでもいいので表に出てきて『すみませんでした!』って一言いえば、それでいいんじゃない? と」

 1度は練習から離れてしまったことには、きっと後ろめたさも感じている。自分の力だけで奮い立たせてもう1度グラウンドに出てくることは、相当のパワーが必要になるんじゃないか。「休みが長くなるほど行きづらくなるし、あとはもうきっかけしかない。だから『自分もいるし』ということを伝えました」という和田なりの思いやりだった。野球でお金をもらっている職業。休んだことについて一言、謝罪があればそれでいいんじゃないかと背中を押した。26歳の若き才能が、道半ばで野球から離れてしまうことが寂しかった。

「自分が失敗と思うなら失敗で、すみませんでしたと出てくればいい。このまま塞ぎ込んで野球をやめるよりも、もう1度野球をやって、それでダメなら仕方ないですけど。とりあえず『野球やろうぜ』って感じで話をした記憶があります」

 高橋純との関係は「普通ですよ」と笑って語る。当然連絡先も知っていて「(練習に出られていないことも)もちろん知っていました。筑後の残留練習に行った時に、そんな話が出ていた。前からそれは聞いていて、僕が練習に行ったらまだ出てこられていなかったから」と状況を続ける。和田からの電話の翌日から、練習に出てくるようになった高橋純。久しぶりに顔を見て「いつも通りの純平でしたよ。申し訳なさそうな顔はしていましたけどね」と安心した表情で振り返った。

 高橋純の目線では、こう振り返る。「『お前だけで背負うことはない。ただもう1回、お前と野球がしたい』と言ってくださって。その次の日にすぐに筑後に行きました。和田さんは筑後で残留で残られていたので、すぐに挨拶に行きました。『出てきてくれてよかった』と言ってくださりました」。立ち上がって、ユニホームに袖を通した。みんなに頭を下げた。結果的にオフに戦力外通告を受けたものの、もう1度立ち上がる勇気をくれたのが和田の存在だった。

 今月22日、高橋純は来季から「野球振興部スタッフ」として転身することが発表された。プロ野球選手として駆け抜けた8年間は、自分だけの宝物。新しい道を真っ直ぐに歩むことで、お世話になった人にも、そして誰よりも和田にも、一歩ずつ恩返しをしていってほしい。

(鷹フル編集部)