「今になって身に染みてわかる」 後輩3選手が語る“慶三さん”…尊敬するリーダーの大きな背中

ソフトバンク・周東佑京、中村晃、甲斐拓也(左から)【写真:藤浦一都、竹村岳】
ソフトバンク・周東佑京、中村晃、甲斐拓也(左から)【写真:藤浦一都、竹村岳】

中村晃「話しかけやすい先輩でした」、甲斐拓也は「もちろんムカつくことも…」

 鷹フルでは、楽天の川島慶三1軍打撃コーチの単独インタビューを、全3回に渡って掲載しました。後輩選手についてお話を聞く中で、川島コーチから名前が挙がったのは甲斐拓也捕手、周東佑京内野手、中村晃外野手。今度はその3人の目線から“慶三さん”の人柄について語ってもらいました。周東選手にとっては「今になって身に染みてわかる」という教えがあります。中村晃選手は、ベンチでの打撃談義にいつも花を咲かせていたそうです。

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 2014年7月にヤクルトからトレードで入団した川島コーチ。中村晃にとっては176安打を放ち、初の最多安打を獲得した年だった。一歩ずつレギュラーへの階段をのぼり始めた中で、川島コーチと出会い「野球の話は結構しました。面白い、話しかけやすい先輩でしたし、やっぱり自分にも厳しいです。後輩にもしっかりと言えることは注意していました」とチームリーダーとしての背中を見ていた。

 川島コーチと同学年の松田宣浩内野手は、2015年から5年連続で全試合に出場。少しずつキャプテンシーを発揮する中で、川島コーチとの両輪が若鷹たちを引っ張っていった。中村晃は松田と川島コーチを比較しながら「松田さんはどっちかといえば、背中でっていう感じでした。慶三さんはプレーでも見せますけど、しっかりと言葉で伝えるタイプかなと思いますね」とその違いを語る。

 中村晃にとっても当時はまだ20代。「そんなに注意っていうのはなかったですけど」と、厳しい言葉というよりも印象に残っているのは「一緒に野球の話はたくさんしました」ということだ。「打席のこととか。配球のこととか、たくさん話しました。ロッカーも隣でしたし、慶三さんの教えもあって、一時期ホームランをたくさん打てるようにもなった。野球の中でお世話になった、勉強になった人です」と今でも感謝は尽きない。

 川島コーチといえば愛された明るいキャラクター。通算では483安打を放ったが、試合を決める勝負強さが最大の持ち味だった。2023年シーズンを終えて1387安打の中村晃も「頭がいいです。向こう側の心理とか、野球を知ってますよね。元々ヤクルトでやられていましたし、細かい野球をたくさんしてきた人。そういうのはたくさん教えてもらいました」とうなるほど、今の自分に生きている教えばかりだ。

 一流の投手と戦う1軍の舞台。全ての球種を追いかけていては、なかなかとらえることも難しい。中村晃は川島コーチの打撃面の特徴に「ギャンブル的な要素がありました。策士でしたね」と代弁する。打席の中でしっかりと割り切って、その考えを相手にも悟られず、結果につなげる。勝負強い打撃には、裏打ちされた打席内の“偏差値”があったのだ。


ソフトバンク・甲斐拓也【写真:荒川祐史】

 川島コーチは柳田悠岐外野手や今宮健太内野手に次代のリーダーとして期待しつつ「僕はいつも言うんですけど、甲斐拓也です」と名前を挙げていた。甲斐が1軍に定着したのは103試合に出場した2017年。川島コーチとの出会いを「本当に兄貴的存在。僕が言うのもおかしいですけど、相談に乗ってもらったり、そこには友達じゃないですけど、先輩でもあり、兄貴でもあり、友達でもあるって感じ。慶三さんにはたくさんのアドバイスをもらったので」と表現する。

 川島コーチは甲斐について「たくさん泣かせてきました。『慶三さん、もうええって』って、彼が僕に言うくらい」と懐かしそうに話していた。甲斐がどれだけ下を向こうとも背中を叩いて、プロとして胸を張ってグラウンドに立たせてきた。「もちろんたくさん怒られたし、説教もされたこともありますし。でも今になってありがたかったことももちろんあります。怒ってくれる人もなかなかいないと思うので。感謝しています」と頭を下げる。

 先輩として川島コーチをリスペクトできたのは、厳しい言葉をかけた翌日でも、また明るく声をかけてくれるから。後輩が気を遣わないように、自分から挨拶もしてきてくれたからだ。甲斐にとっても若かりし頃で「もちろんムカつくこともありました」と笑うが「それがあったから次がどうこうとかならないんです。その後も普通にアドバイスをくれたりとか、明るく接してくれたりとかしたので。何も変な気まずさもなかったですね」と言う。厳しいだけではなく、気配りができる。何より、自分がそれだけの背中を見せていたから、後輩に慕われた。


ソフトバンク・周東佑京【写真:荒川祐史】

 周東佑京は2019年3月に支配下登録され、主に代走として25盗塁を記録した。ベンチスタートが多かった中で、自然と川島コーチとの会話も増えていったという。「ベンチで、慶三さんの方から『こういう状況ならどう考える』とか色々と言っていただいて。こう思いますっていうのは話しながら試合を見ていたんで。野球をめちゃくちゃ教えてもらいました」。周東にとっての“1軍1年目”。川島コーチとの出会いが、自分のプロ意識を高みに連れていってくれた。

 2019年は川島コーチにとっても36歳のシーズンで、ベテランの領域に入っていた。周東が今も胸に刻む教えがある。

「野球の試合中もそうですけど、いろんな話をしてくれました。試合に出始めて、いろんな感情がある中でやらないといけない。その中で『自分は、出ている人の代表。チームの代表として出ているんだから、そこは不安に思うこともあるけど、自信を持ってやらないと。出ていない人からの見え方も悪いし、あとは本当に、出ている以上はみんなに認められる行動をしなさい』と。野球選手として色々教えてもらったかなと思っています」

 結果が出ずに悔しい気持ちは、野球選手なら当然ある。それでも、プロとして最善の準備をしたのなら、胸を張っているべきだと川島コーチから教えられた。最善の準備をしている姿は、チームメートなら必ず見ている。いつかホークスを背負うかもしれない若鷹なら、常に凛として準備しなければならない。

「試合前に早くきて、打ったり体を動かしたりしようと僕が思えたのも慶三さんに言っていただいたのもありますし。本当に準備っていうのは、すごく言ってもらいました。自分のためでもあるし、見え方っていうのも、巡り巡って自分に返ってくるんだから。そういうマイナスを作らないようにっていうのは言っていただきました」

「一番、参考になるというか、目指すべきところ。松田さん、慶三さん。松田さんはずっと試合に出ていたのであれですけど、慶三さんは左(相手投手がサウスポー)の時に試合に出て。あとは代打で行ったり。いろんな準備の仕方も見ていましたし。慶三さんが早く球場にきて外を走っていたり、夏場とかでも。そういうのが大事なのかなって感じました」

 2022年6月17日の楽天戦(PayPayドーム)で、エンジ色のユニホームを着た川島コーチと再開した。試合前練習中、ビジターチームが三塁ベンチ前に出てきた時、真っ先に挨拶に行ったのが周東だった。後輩が先輩に挨拶に行く。当然のことかもしれないが、2人が話す姿からだけでも、互いのリスペクトは伝わってきた。「心の拠り所じゃないですけど、困った時は慶三さんに相談していたので。会いたかったのは会いたかったです」と笑顔で話す。

 周東にとって2023年はプロ6年目のシーズンだった。特に終盤戦では傷だらけでも自らグラウンドに立ち、チームの先頭に立とうとする。リーダーとしての自覚が、輪郭となって少しずつ見え始めた1年だったはずだ。自分が引っ張る側になろうとして、改めて川島コーチの言葉が「今になって、言っていたのがすごく身に染みてわかるというか。年も重ねてきて、下も増えてきて、よりそういう姿を見せないといけないなっていうのは強く感じています」と胸に響く。後輩たちからの言葉の全てが、川島コーチがホークスに残したものだ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)