“笑いあり、涙あり”の1年目…必須だった温泉とサウナ 大津亮介の今も記憶に残る1球

ソフトバンク・大津亮介【写真:荒川祐史】
ソフトバンク・大津亮介【写真:荒川祐史】

1年目から46試合に登板、課題は体力面「これだけ疲れて、疲労が溜まるんだ」

 全力で駆け抜けたルーキーイヤーは、どんなものだったのか。ソフトバンクは9日、オリックス戦(京セラドーム)で敗れてレギュラーシーズンの全日程が終了した。71勝69敗3分けで3年ぶりのV奪回は叶わず、14日からはクライマックスシリーズに臨む。その中で、戦力になろうと懸命に努力を続けたのが大津亮介投手だ。

 福岡県出身で、昨年のドラフト会議で日本製鐵鹿島から2位指名を受けた。46試合に登板して2勝0敗、防御率2.43、13ホールドを記録。新人として立派すぎる成績を残し「初めてのプロ野球生活で、これだけ投げてこれだけ体が疲れて、疲労が溜まるんだなって。色々学びました」。振り返って一番に感じたのは、1年間を戦うシーズンの長さだった。

 課題を問われると「50試合を目標にしていたんですけど、それには届かなかった。課題としては、ちょっと四球が僕の中では多い。2ボール、先行することも多かったので」と言う。40回2/3を投げて11四球は、制球力が武器である大津にとっても納得はいかなかったようだ。黒星を喫することなくシーズンを終えて「中継ぎは負けが付いたらダメなので、そこはよかったです」と胸を張る。

 開幕から駆け抜けてきたものの、7月25日に1度登録抹消を味わった。右手の中指にできたマメの影響で、痛くてキャッチボールもできないほどだったと言う。8月22日に再び1軍に昇格するまで、ファームで得たものも多かった。7種類の変化球を操る大津だが、失敗は許されない1軍の舞台。「全然ありました」と、7種類の中でなかなか使えない球種があったそうだ。具体的には明言しなかったものの、使う機会の少なかった球種に磨きをかけて1軍に戻ってきた。

「やっぱり1軍でずっと野球ができるのは当たり前じゃないですし、普段試せないことを2軍で試せたり。1年目なので、無理することなく1軍で出た課題を2軍の試合で、練習というか。イメージしながら投げられたので」

 7月の防御率6.75と苦しんだものの、8月は2試合に登板して無失点。9月も防御率0.90と調子を持ち直した。「1回体をリフレッシュできて、回復できたのかなって思います」と、やはり感じたのは体力面の重要性。マウンドでどれだけパフォーマンスを発揮させられるか、時間をもらったからこそ気付けたことがあった。

ソフトバンク・大津亮介【写真:荒川祐史】
ソフトバンク・大津亮介【写真:荒川祐史】

 いかに疲労を抜き、試合に全力を出し切れるかを考えさせられた1年だった。「試合直前までは(投げる量も)最小限で。試合が終わっても温泉、サウナが空いていれば行くようにしていました。ちょっとでも整うように」とサウナは必須。試合後に疲れていても、少しでもケアをすることで翌日は体が軽く感じられた。「遠征先でも、自分で(場所を)調べて」。汗をかいて、1人になって、考えごとをする時間も自分を成長させてくれた。

 1年目を終えて、印象的なシーンに挙げたのはプロ初勝利。6月18日の阪神戦(甲子園)で同点の6回1死一、二塁から登板すると、ミエセスを1球でゲッツーに仕留めた。その直後、7回の攻撃で5点を奪い、たった1球で記念すべき初白星を掴み取った。「甲子園のマウンド、一瞬で終わったんですけど。それでもちゃんと覚えていますね」と振り返る。初勝利の記念球は、今でも実家に飾ってあるそうだ。

「初勝利になるなんて全く思っていなかったです。ただ単に、全力で投げたボールがゲッツーになって。流れが良くなったかなって思いますね」

 6月10日の巨人戦(PayPayドーム)では1回2失点。「悔しすぎて」本塁へのベースカバーに遅れてしまうほどの感情で、ベンチでは悔し涙を流した。まさに“笑いあり、涙あり”のルーキーイヤー。「本当、何回も言いますけどいい経験ばかりをさせてもらっているので。オフもいい過ごし方をしないといけないですね」と、充実したからこそ、少しだけ先も見据えている。

 日本一への可能性はまだ残されている。大津の力を借りる時も、2023年にはまだまだあるはずだ。自分が積み重ねてきたものを信じて、何度だってチームの力になってみせる。

(竹村岳 / Gaku Takemura)