30代で体に変化…プロ12年は「常に苦しい」 武田翔太が振り返る節目の1000投球回

楽天戦に登板したソフトバンク・武田翔太【写真:竹村岳】
楽天戦に登板したソフトバンク・武田翔太【写真:竹村岳】

NPBでは366人目の1000投球回到達、プロ12年目で節目の数字

 ルーキーイヤーから鮮烈な印象を与えた右腕が、1つの節目に到達した。ソフトバンクの武田翔太投手が8日の楽天戦(PayPayドーム)で1回2/3を投げて無失点。6回1死、辰己涼介外野手を中飛に打ち取ったところで、プロ通算1000投球回となった。12年目で迎えた通過点。4月には30歳を迎え、感じている変化があるという。

 先発の石川柊太投手が、4回を終えて3失点。5回1死一塁となったところで、ベンチは田浦文丸投手にスイッチした。しかし、田浦は打者5人に4安打1四球とアウトを奪うことができず、楽天打線の勢いを止められず。5点差に広がり、なお1死二、三塁で武田がマウンドに上がった。

 まずは村林を146キロの直球で空振り三振。島内には四球を与え満塁とされ、浅村を迎えた。フルカウントからのラストボールは、外角へのスライダー。うまく手を出させて、力ない二ゴロに打ち取った。「なんとか抑えられてよかった」と胸をなで下ろす。

 6回もマウンドに上がり、通算1000投球回となった。2011年のドラフト1位で入団し、ルーキーイヤーの2012年には8勝、67イニングを記録した。通算1000イニングには「意外と長かった。思ったよりも時間がかかってしまった」というのが率直な思いだ。今季は26試合に登板して、先発したのは2試合だけ。「まさか中継ぎで達成するとは思わなかったけど、1つの節目と今までやってきてよかったかなと思います」と静かに喜びを噛み締めていた。

1000投球回達成の記念ボードを掲げるソフトバンク・武田翔太【写真:竹村岳】
1000投球回達成の記念ボードを掲げるソフトバンク・武田翔太【写真:竹村岳】

 4年目の2015年に13勝、2016年に14勝と順調すぎるステップを踏んだが、プロ12年で2桁勝利はその2シーズンだけ。苦しい時間の方が長かったはずだ。印象深いシーズンを問われても「常に苦しいですよ。その中でどう投げるかってことだけ。2桁勝った時も苦しかったし、プロ野球生活は基本的に苦しいものですから。苦しくなくなったら終わりだと思う」と自分なりの価値観で振り返る。

 今年の4月3日には、30歳を迎えた。年を取ったと思うことは体質の変化だといい「技術的なところよりも、体は感じますね。ちょっと太りやすくなった。1食べたら、5太る感じ。今までは1食べても、0.5くらいやったのに」。今季からは中村晃外野手や東浜巨投手らと同じ管理栄養士に、食事を全て外注。食事の席でも、調味料やタレなどに気を配りながら過ごしている。

 管理を徹底する一番の要因が、何度も経験してきた怪我だ。2019年オフには右肘を手術、度重なる右肩の故障、背中の張り……。「いろんな箇所をしてしまっているので、その度に勉強します」と何度も学びを得てきた。2022年8月にも右肘を痛めたが、原因の1つが肉体改造し、体重が増えたことだった。「あとは太ったというか、つけ方が良くなかったんですけどね」。努力は人に見せないが、地道な積み重ねが1000投球回にまで到達させてくれた。

 8月28日に登録抹消となった。6月7日の1軍昇格からロングリリーフなどの起用に応えていたものの、斎藤学投手コーチからは接戦の中でも試合を壊さないような結果を求められた。「そういう仕事ができないと、武田はいらない」と厳しい評価も。武田自身も「やるべきことをやるだけ」と受け止め、ファームでもリリーフとして時間を過ごしてきた。10日の楽天戦でも1回2/3を投げて1失点。今の武田にしかできない役割が、きっとあるはずだ。

「携わってくれた方々に感謝したいです」と、節目の数字に思いを馳せた。1年目からチームに貢献してきた「1000」の勲章。受け取った記念のボードは、しっかりと自宅へ持って帰っていた。

(竹村岳 / Gaku Takemura)