医師に訴えた「今すぐ手術してください」 野村勇の復帰への執念…決断に至るまでの思い

ソフトバンク・野村勇【写真:藤浦一都】
ソフトバンク・野村勇【写真:藤浦一都】

今宮健太内野手とともに1軍昇格…藤本博史監督「当分の間は2人で使う」

 待望の1軍初昇格だった。ソフトバンクの野村勇内野手が6日、今季初めて出場選手登録された。キャンプ中に腰を痛め、3月末に内視鏡下椎弓形成術を受けてリハビリを続けてきた。今季初めて1軍の舞台に立った野村勇に怪我の詳細、手術に至るまでの経緯と決断を聞いた。

 4日の広島戦(マツダスタジアム)で川瀬晃内野手が一塁手と交錯し、離脱を余儀なくされた。今宮健太内野手と共に野村勇も1軍に呼んだ藤本監督は「2人とも万全ではない。でも、もうショートがいないので。今宮も野村勇も2軍で試合に出ているし、状態も悪くない。当分の間は2人で使っていきたい」と起用のイメージを語っていた。

 野村勇は昨季、新人ながら10本塁打、10盗塁を記録するなどチームを支えた。今季はさらなる飛躍を期待されたが、2月の春季キャンプ中に坐骨神経痛で離脱。その後、腰の手術を経て入院生活やリハビリを続けてきた。ウエスタン・リーグでは3試合出場ながらも打率.455をマークし、1軍昇格の切符をつかんだ。

 腰の痛みは突然、野村勇を襲った。2月の春季キャンプ中のある日。「朝起きた瞬間に、腰の調子が悪いなと思って。そのままやったら、力が入らなくなっていった感じでした」と振り返る。普段通りに歩くこともできず「動きによっては(前屈とかは)できるんですけど、足を伸ばすのがきつかったです」と症状を説明する。やむなく戦線離脱となった。

 箇所が箇所なだけに、体にメスを入れることは「怖かったです」と話す。その一方で「症状が一向に良くならなかったんです。毎日、何も変わっていない日々を過ごしていたので。怖いというよりも早くしたい感じでした」との思いも。経過観察の中で症状が回復する兆しは見込めず、しだいに気持ちは手術へと傾いていった。

 病名を聞いた時の心境は「仕方ないと思いました。早く治すことだけを考えました」という。すぐに前を向いたのも野村勇らしい。春季キャンプ中の離脱に始まり、球団から手術を受けたと発表されるまで1か月半ほどの時間があった。決断までに時間を要したようにも見えるが、野村勇は「最短やったと思います」という。

 どんなプロセスを経て、決断まで至ったのか。

「(同様の)手術をした人ではマジで最短くらいです。普通は『痛い』ってなって、様子を見るじゃないですか。様子を見て、そこから良くなっていたら、2か月後とかになるんです。でも、僕は症状が一向に良くならなかった。『今すぐ手術してください』とお願いして、先生にも最短で手術を入れてもらって、1か月だった。一番早い最短ルートで1か月の手術だった。すごく迅速に動いてもらったから、早く復帰できたと思います」

「(診てもらうために)福島県まで行きました。一番はじめはその担当のドクターに診てもらった。腰といったら、有名な先生が何人かいるらしいので、関西の病院と福島の先生に診てもらって、2人とも意見が一緒だったので、じゃあ手術したほうがいいかなと思って」

 自分の思いに応えてくれた医師には感謝しかない。常に最善の方法を探し続け、導かれた答えが一刻も早い手術だった。「1時間半くらいでできると言われたんですけど、だいぶ難しかったみたい。結構かかったと言われました」。全身麻酔で受けた手術の舞台裏をこう語る。手術が終わった直後の体の状態は、今でもはっきりと覚えている。

「起きた時はちょっとふわふわしているというか。もっと痺れているかなと思ったんですけど、足とか下半身とか。でもどこも痺れていなくて、手術も大成功って言われました。痺れもなく、その日から歩けたので、全然いけそうやなって思いました」

 1軍の試合に対して「普通に見ていて、悔しかったです」と感情を隠さない。ファンから復帰を待つ声もしっかりと届いていた。「インスタで見ていました。1日も早く帰れるようにとリハビリの時に考えてやっていました」。リハビリの力に変えた。応援してくれた人たちの思いを背負って、ここから野村勇が1軍の力になっていく。

(竹村岳 / Gaku Takemura)