【連載・甲斐拓也】自分が親になって改めて実感 女手一つで育ててくれた母の凄さ

甲斐自身も2児の父となり妻へ「感謝しかないですね」

 ホークスの4選手が毎週登場し、野球や私生活のことなどを語る鷹フル月イチ連載、甲斐拓也捕手の5月度「中編」です。5月14日は「母の日」。甲斐選手を語る上で、女手一つで育ててくれた母・小百合さんは、なくてはならない存在。そんな母と妻への感謝が今回のテーマです。甲斐選手の月イチ連載「5月後編」は9日(火)に掲載予定です。

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 ちょうど1週間後は「母の日」。甲斐は母・小百合さんについて「表現のしようがないくらいの人ですね。母ちゃんが全てだと思いますし、母ちゃんがいたから今、僕はこうして野球をできていると思っています」と語る。女手一つでここまで育ててくれた偉大な存在。「育成で頑張れたのも母ちゃんの存在があったから」。心を奮い立たせ、支配下登録、レギュラー奪取、そして侍ジャパン選出と成長を遂げてきた。

 両親は甲斐が2歳の時に離婚した。そこから兄の大樹さんと拓也は、母の小百合さんが1人で育ててきた。先に野球を始めた兄の背中を追うようにして、甲斐も小学1年生の頃に野球を始め、すぐにのめり込むようになった。息子2人に満足いくまで野球をさせてあげられるようにと母は仕事を変えた。

 時間の融通が利くようにと、昼間はタクシードライバーとして働いた。勤務を終えると、すぐに学校から帰ってきた兄弟の野球への送り迎え。帰宅して晩御飯を食べさせ、寝かせると、夜中にはパチンコ店の清掃のために再び働きに出かけた。深夜に帰宅すると、少し寝て、再び2人を学校に送り出す準備を始める。そんな生活をずっと続けた。

「2つ、3つぐらい仕事をしていて、いつ寝ているんだろうって心配に思うぐらいでした」。平日の睡眠時間は3、4時間ほど。それでも母は、子どもたちの前で一切、苦しい素振りを見せず、納得いくまで野球をさせてくれた。幼いながらに見ていたそんな母の姿は、甲斐の脳裏に今もくっきりと焼き付いている。

 息子が球界を代表する選手になっても、母の実直な姿は変わらない。「働かなくなったら死んでしまう」という小百合さんは、かつて勤めていたタクシー会社は辞めたものの、個人タクシーのドライバーを今でも続け、大分で車を走らせている。1月に自主トレを行う球場には“母ちゃんのタクシー”が停められていることもあり、その時は地元で汗を流す息子を、可愛い孫たちと共に見つめている。

 甲斐は2018年に育成時代から交際していた女性と結婚。2人の男の子も生まれ、自身も親となった。「今、僕も男の子2人ですけど、相当わんぱくなんで……。僕らもヤンチャだったでしょうし、母親1人で育てるっていうのは相当な覚悟がないとできないだろうなと思います。子どもにとって親は全てだと思います」。子育ての大変さを身をもって知ることで、母への感謝も改めて感じている。

 当然、妻への感謝も尽きない。「母親って休みの日がないじゃないですか。本当に支えてもらっていますし、育成でまだ先が見えない頃から一緒にいる。存在は大きかったですね。今でも子どもがいて、野球に専念させてもらえているので感謝しかないです」。プロ野球選手は1年の半分は遠征やキャンプで家を留守にする。なかなか子どもの面倒を見ることもできない中で、支えてくれる妻にも頭は上がらないという。

 福岡にいる時は子どもと遊び、お風呂にも入れる。それでも「このレベルで(子育てを)やっているって言ったら怒られちゃいますよね」という。大部分は任せっきりになっており「大変だろうなと思いますし、受け入れてくれているところは本当にありがたいと思っています」と語る。1週間後に迫る「母の日」。甲斐は最愛の母と妻のためにも、必死に戦っていく。

(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)