怪我人続出でスタッフもベンチ入り 初の本拠地試合を戦ったNPB初4軍の現実と課題

ソフトバンク・小川史4軍監督【写真:上杉あずさ】
ソフトバンク・小川史4軍監督【写真:上杉あずさ】

育成選手を中心に怪我人が多く、本来目指す3軍と4軍の棲み分けが出来ず

 ソフトバンクの4軍が3日、ファーム本拠地のタマスタ筑後で発足後初となるホームゲームを戦った。今年新たに独立リーグの九州アジアリーグに加入した宮崎サンシャインズと対戦。3-5で逆転負けを喫し、皮肉にも宮崎に公式戦初勝利を献上する形になった。

 試合後、小川史4軍監督は「相手の方がこの試合で勝つっていう気持ちが強かった」と苦言を呈した。育成が目的となる4軍は勝利至上主義ではないとはいえ、「勝つための采配とか用兵はしなくても、出る選手がそのゲームに勝つんだっていう気持ちでやってもらうにはどうしたらいいかなって考えている。いろんな選手を出してあげたいけど、負けていいっていう気持ちではさせたくない。それはもう前の3軍の時からずっと思っています」と話す。

 この日初めてホームゲームを戦った4軍だが、まだ3軍との棲み分けはできておらず、立ち位置はハッキリしない。「本来でしたら、3軍は試合の中で高めていって、4軍は1週間に2、3試合で、あとは練習で技術と体力をつけてっていう棲み分けをしていくんですけど、いかんせん怪我人の問題もあって、そういうスタートがまだ切れていないのが現状です」と小川4軍監督は語る。

 現在、ファームでは育成選手を中心に故障者が相次いでいる。試合をこなすにも人数がギリギリで、この日もベンチ入りメンバーには2人のスタッフが名を連ね、3軍の選手が4軍戦にも出場している。3軍戦と4軍戦が同時に組まれた場合は、2軍の選手が3軍に参加。出場機会が多くない選手にとっては、実戦機会が増えるのは悪いことではない。理想では「4軍は4軍、3軍は3軍でしっかりとやりたい。ただ、今年からというところもあるし、何もかもが最初から上手くいくことはない」と小川4軍監督は語る。

 4軍をしっかり運用しようとするのであれば、選手数も必要になる。ただ、「4軍でも試合に出られないってなるとそれは……。せっかくやるのであれば、試合に出さないと、というところもある」と小川4軍監督。一方で、3軍創設当時、試合に出られない育成選手のハングリー精神が成長に繋がったことも事実。今は試合に飢えることがない。その分、4軍から3軍、3軍から2軍に上がることが今の選手たちのモチベーションになる。

 小川4軍監督は、2011年に始まった3軍でも初代監督を務めた。今やメジャーリーガーとなった千賀滉大投手や侍ジャパンとしても活躍した甲斐拓也捕手、牧原大成内野手らが一期生だった。「拓也はハングリー精神がすごかったですね。『もっと教えてください』みたいな。牧原は飄々としていましたけど、運動能力が高かったですよね。千賀は最初、体力がなくてね。ひ弱な子っていう感じやったんですけど、やっぱり段々体力が付いて、自信を持ったんですね。急に変わっていきましたよ」と当時を振り返る。

 3人ともに共通していたのは“這い上がる”モチベーションの高さだった。そして、その気持ちを持ち続け、日本を代表する選手になった。その頃からもう10年以上が経った。時代が変わり、選手たちをとりまく環境も変わった。“大多数の中の数人が育成選手”という環境から“大多数の育成選手”となった今、選手たちの競争意識や感覚が変わるのは当然だ。54人もの育成選手を抱えるソフトバンクの支配下選手枠は残り3つ。4軍選手が1軍をイメージしづらいのは事実だが、高みを目指して取り組まなければ、未来はない。

 始動してまだ3か月ほどだが、既に良い点も課題も見つかってきた。小川4軍監督は、「課題も後ろ向きで考えるより、良いこともいっぱいあるからね」と前を向き、課題は来季以降にも生かせるようにと受け止める。新たな仕組みの下で、若鷹たちがどんなプロ生活を歩んでいくのか、注目したい。

(上杉あずさ / Azusa Uesugi)