鷹・明石健志、約30分の引退会見ノーカット 決断の理由と19年間の分岐点など明かす

引退会見に臨んだソフトバンク・明石健志【写真:福谷佑介】
引退会見に臨んだソフトバンク・明石健志【写真:福谷佑介】

野球人生を変えたサヨナラエラー「野球人生を左右する分岐点だった」

 ソフトバンクの明石健志内野手が23日、本拠地PayPayドームで引退会見を行った。会見の中では引退を決断した胸中やプロ野球選手としての分岐点になったプレー、19年間支えてくれた家族への感謝の思いなどを語った。明石が会見で語った全てを、ノーカット版としてお届けする。

「本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。私、明石健志は今季をもちまして、現役を引退することをここにご報告させていただきます。このようなあいさつの場を作っていただいた福岡ソフトバンクホークス球団の皆様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。ファンの皆様には本当に熱い声援をいつもしていただき、叱咤激励も何回もいただきました。本当にありがとうございました。そして報道関係の皆様、本当に明石健志という1人の選手を世に出してくれて、いろいろ取材してくれて本当にありがとうございました。19年間という長い間、本当にありがとうございました」

――引退を決めた理由は。
「皆さんが見ての通りだと思うんですけど、やっぱりこの何年間というのは、自分自身、物足りなさを感じるシーズンが多かったですし、力不足って言ってしまえば、それまでなんですけど、それが引退を決めた理由です」

――その物足りなさは具体的にどこで感じた。
「走攻守において、物足りなさは自分でも感じていたんですけども、やっぱり打撃で言ったら、150キロのボールとかを弾き返せなくなってきているなっていうことを感じましたし、もっと早く反応しなきゃいけないと思うとボール球を良く振るようになりましたし、走っていても以前とは加速も違えば、キレも違えばっていうのが大きな要因です」

――度重なる怪我に悩まされながらプレーしていた。
「やっぱり試合に出る以上、いい状態を保ちながらやりたいっていうのは選手は思うと思うんですけど、なるべく治療の時間に割いて、できる限りのパフォーマンスを出せるようにはしていました。でも、この世界はそう簡単な世界じゃないですし、やっぱりそういう悪いところがあればおのずと結果が出なくなるっていうことはある。腰の怪我をしてしまったっていうのは、誰が悪いとかじゃなくて、僕が怪我をして、この世界は全部、自分の責任なので。痛くなるとはあんまり思ってはいなかったんですけど、結果的にはこういうふうになってしまったという感じですかね」

――引退はいつどのような形で決められた。
「僕は自分から引退しますっていう、そういう選手ではないと思うので、やっぱり最後まで頑張りたいっていう気持ちがありました。それが肩を叩かれたりとか、もう無理だって思ってしまったので、そこは僕のメンタルといいますか、ちょっと足りなかったところですね」

――相当な葛藤があったと思う。
「正直、本当につらいのはつらかったと思うんですけど、その中でもやっぱりパフォーマンスを出したいっていうのが強かったので。難しいですよね、そこは」

――引退を決めて、誰に思いを伝えましたか。
「妻に伝えました」

――今日も来られています。
「野球を辞めるかもしれない、と伝えたら『よく頑張ってくれてありがとう。お疲れ様』と言われました」

――家族の支えがなければここまで来られなかった。
「本当に小さい息子が1人いるんですけど、妻からしたら大きい子供がもう1人いるような感じだったと思うので、僕の気持ちを伝えて、スッキリして辞めることができます」

――奥様に伝えられた後、球団関係者にもすぐ伝えられたんでしょうか?
「はい。まず、両親や妻の両親に伝えさせてもらって、その後にお世話になった人、僕に関わってくれた方、高校の野球部のみんなとか、いろいろな人に連絡をさせてもらいました」

――そこでは皆さんからどんな言葉をかけられました。
「本当19年間、お疲れ様、寂しいけど、よく頑張ったね、という言葉をいただきました」

――19年間という長いプロ生活の中で、特に好印象に残っていることは。
「ずっと言ってるんですけれど、本当に(2010年の)千葉マリンのサヨナラエラーが1番印象に残っています」

――それはなぜですか。
「それも優勝争いをしていて、そこでエラーをしてしまったので。でもそこからちょっと考え方が変わったり、自分を見つめ直したりして、そこからちょっとは強くなれたかなって、野球人生を左右するといいますか、そういう分岐点だったのかなっていうのは思います」

――そこからの苦労というのは計り知れない部分もある。
「野球選手、他のスポーツでもそうだと思うんですけど、自分の弱さを認められないと、ステップアップできないと思うんで、そこで初めてそういうのにぶち当たって、考え方、取り組み方っていうのは、変わっていきました」

――特に力を入れたことっていうのは。
「ずっとうまくなりたいっていうふうに思って、今日までやってきたので、そこで……もう1回質問いいですか?」

――特にどんなところを力を入れて打ち込んできたんでしょうか?
「それは全てにおいて、走攻守においてレベルアップしなきゃ、やはりこの世界では生き残っていけないっていうふうに自分で感じたので痛いとか、かゆいとか、関係なく純粋に野球に取り組めました」

――怪我との戦いでもあった。
「本当に怪我が多くて、その度にもう1回頑張れる、もう1回頑張るって思ってやってきました。それもやっぱり、1軍という舞台でプレーをしたいっていう想いだけで、ずっと乗り越えてこられたので、怪我をしたらつらいのは当たり前なんですけど、それがあったからこそ今があるかなと感じます」

――他に印象に残っている試合っていうのはありますか?
「いいものはバク宙できたので(2019年)、本当に思い出に残ってます」

――バク宙は本当に綺麗でした。
「本当小っちゃいころとかに珍プレー好プレーを見ていて、秋山さんがああいうバク宙をやっていて、プロ野球生活の中でできたことはとても嬉しく思いますね」

――あの時はどんな気持ちだった。
「いや、嬉しいしかないんですけども、本当に良いチームメイトに恵まれて、先輩も後輩も。そういう中で野球ができたってことはとても嬉しく思います」

――あの時も腰痛から復帰して1軍昇格したばかり。平成最後のホームゲームでした。
「それはもうたまたまだと思うんで。でも本当、平成最後とか、そういう節目のときに何かそういうふうにできるっていうのは嬉しく思います」

――またバク宙をどこかで観たいなと思うんですけども、例えばハリーくんに入るとか……
「そうですね、球団からそういう打診があれば(笑い)」

――1打席で19球粘った試合(2012年)もあった。
「札幌ドームで武田が初先発の日だと思うんですけど、僕もあの時は3割目前ぐらいのところだったと思うんです。粘ったっていうよりも、前に飛ばなかったっていうか、正解かもしれないんですけど、でも本当にピッチャーに1球でも多く投げさせるっていうのは結構目標にやっていたので、そういう打席が毎回ではありませんでしたけど、一生懸命それを目指して取り組んできました」

――今でこそホークスにはユーティリティプレーヤーというのはたくさんありますが、元祖ユーティリティプレーヤーと言っても過言ではない。
「守備面は本当にサヨナラエラーから、絶対にチームの勝敗に関わるシーン、ピッチャーにも迷惑かけるし、チームにも迷惑かけるっていうことで、守備コーチだった鳥越コーチに練習に付き合ってもらって、もうこういうことがないように、と沢山付き合って練習してもらいました」

――若いユーティリティの選手を見て何を感じる。
「僕がやっている以上に、高いレベルで彼らはやっているなって思いますし、試合に出るチャンスがあるんだったら、どこでも守れますよっていうのは大きな武器になると思うので、みんな頑張ってほしいです」

――それは後輩たちにも伝えたいこと。
「本当なら1つのポジションをずっと守り続けるっていうのが、1番いいっていうか、そこをみんな目標にして頑張っているので。それでも、いろいろ守れて、同じぐらいのレベルで守れるんだったら、すごくそれは1つの武器なので、守れるんだったら全部守れる方がいいと思います」

――19年間でこれは誇れるという成績、プレーはなんでしょう。
「成績とかでも本当に大した成績ではありませんし、僕が誇れるっていうのは本当19年間、ホークスで野球をして、ホークスで引退できたっていうことが、一番誇れることです」

――球団への愛着、思いっていうのはどうでしょう。
「ダイエーホークスから、凄い選手ばっかりで、本当にここでやっていけるのかなって思ったのがプロ野球の始まりだった。それでも、その大した選手でもない僕を、ここまで長くいさせてくれて、本当にホークスには感謝しかありません」

――19年間支えてくれたと家族へ伝えたい気持ち。
「もう一言しかなくて、本当にこんなワガママな僕を支えてくれて、勇気づけてくれて、愚痴も聞いてくれて、本当に感謝しかありません」

――家族の支えがあったから続けられた。
「そうですね。痛くても、やっぱり妻や子供、家族の喜んでいる姿や、顔を見たいって、ずっと思ってやってきたので、それをちょっと見せられなくなるっていうのは寂しいですけど」

――お子様が物心つくまでやりたかった。
「正直それは思いますけど、これから立派に育っていってくれると思うので」

――背中を押してくれたファンへの思いを。
「本当に19年間という長い間、応援をしていただき、そして勇気をいただき、本当にありがとうございました。ファンの皆様には本当につ辛い時だったり、リハビリをしている時だったり、いい時だって、本当に背中を押してもらうことしかなかったので、本当に19年間ありがとうございました」

――優勝争いをしているこのチーム状況の中で、残りの短い現役生活はどんなところを大切に過ごしますか。
「本当にチームが優勝争いしているので、まずは勝ってほしいですし、優勝してほしいです。僕は今まで通り1日1日を大切に過ごしていくだけなので」

――デビューから一度もバットを変えなかった。
「重さは変えたんですけど。形はずっと一緒です。バットを変えるよりも、自分がこのバットを扱えるようになりたい、バットに合わせたいっていうのがあったので」

――最後のダイエー戦士になる和田投手への思いは。
「僕が和田さんに掛ける言葉ですよね。これはもう僕が入る1年前に、もう和田さんは1軍で活躍してたので、本当にずっと背中を追ってきました」

――引退して、何かこれから次にチャレンジしてみたいことは。
「今は本当にちょっと考えられないですね。野球選手として突っ走ってきたので、少しゆっくりする時間もあると思うので、その時考えたいと思います」

(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)