2度目の戦力外も覚悟していた… 黒瀬健太を変えた中田翔との出会いと球団の期待

ソフトバンク・黒瀬健太【写真:藤浦一都】
ソフトバンク・黒瀬健太【写真:藤浦一都】

一昨年オフに中田の自主トレ参加を志願した黒瀬「愛情も厳しさもある人」

 ようやく日の目を浴びる時が来た。入団から7年目を迎えた黒瀬健太内野手が7月28日、念願だった支配下契約を勝ち取った。同30日の西武戦で代打でデビューを果たすと、31日の同戦ではプロ初スタメン。第1打席で決勝点となる勝ち越しの犠飛を放って、初のお立ち台にも上がった。

 元々は2015年のドラフト5位で入団しており、4年ぶりの支配下復帰となる。高卒3年目のオフに戦力外となり、以後は育成選手としてプレーしてきた。なかなか2軍に定着することさえ出来ず、3軍で過ごす時間が長かった。秋には毎年のようにクビを覚悟していた。

 今季で7年目となるプロ生活の中で、最も苦しかったのは6年目の昨季だった。打ってアピールしたとしても、支配下選手が優先されるこの世界で、育成の黒瀬はすぐに3軍行き。2軍で与えられるチャンスは本当に限られていた。昨秋はいよいよ「本当に終わるんか……」と覚悟したという。

 しかし、球団は今季も黒瀬と育成契約を結んだ。契約更改時に、球団フロントからは「本当に期待しているんだ」「もっと頑張って欲しい」と声をかけられた。高校通算97本塁打を誇る長距離砲。秘めたるポテンシャルに、球団も黒瀬を諦めなかった。その思いに感謝すると共に、黒瀬はホークスで活躍すると強く誓った。

 7年目のチャンスを貰ったからには、覚悟を決めてやるしかない。昨季までの経験があるからこそ「もう(3軍に)落とせないくらい結果を出し続ければいいんだ。落とそうと思われる結果を出していた自分がダメやったんや」と受け止めた。「腹をくくってる」と、これまでとは違う本物の覚悟を滲ませ、今季は結果に一喜一憂せず、やるべきことに黙々と取り組んできた。

 そんな黒瀬にとって、転機となる夢のような大きな出会いがあった。一昨年のオフのことだ。「ずっと好きな選手だった」という中田翔内野手(当時日本ハム、現巨人)との出会い。昔から憧れの存在ではあったが、当然、面識などなかった。共通の知人に連絡先を教えてもらい、意を決して電話をかけた。

 あのドキドキは今も忘れない。緊張しながら、中田の自主トレへの参加を志願した。中田は面識も無い他球団の育成選手からの申し出に対し「来るんやったら本気で来いよ」と言って、快く受け入れてくれた。昨年の1月、そして今年の1月と、2年続けて中田の自主トレで黒瀬は充実の時間を過ごした。

 自主トレでは、技術的な助言のみならず、考え方などの精神的な面でも多くの気付きを与えてもらった。中田は「昔、俺もそうやったから…」と言って、もがく黒瀬に寄り添ってくれたという。中田の存在は黒瀬にとって目標であり、支えになっていた。

“師匠”の話をする時、黒瀬は本当に野球少年のような顔になる。

「自分のことのように親身になってくれる。『なんで出来へんねん』って怒られたりもしましたし、凄い良くなってるよって褒めてくれたりもしました。(打撃の)映像を見ながら、もっとこうした方がいいんじゃない? ああした方がいいんじゃない? って平気で1時間とか2時間、打撃談義もしてくれて。何とかしてやろうって思ってくれているのが分かりました。愛情も厳しさもある人です」

 黒瀬は中田に心の底から感謝している。更には「めっちゃ良い人だから、何とか恩返ししたい」とも。中田の愛情に結果で応えることも、今の黒瀬の一つのモチベーションだ。支配下契約の知らせを受けて、すぐさま中田にも報告の連絡をした。

「『おめでとう』と言われて、その後に『でもこれで満足するなよ』と。『俺も今まで育成から支配下になって、それで満足して終わっていったヤツを何人も見ているから』と。『支配下になったら、周りから見られる目も変わるし、期待もされるし、育成のときの苦しさとかそういうのは経験したことがないからわからないけど、支配下になったら支配下なりに厳しいことがいっぱいあるから、これで気を抜かずに、明日からも結果残せるように頑張れ』と言われました」

 師匠の言葉を胸に刻み込んだ黒瀬。これでソフトバンクの支配下登録枠は上限いっぱいの70人。最後の1枠を掴み取った黒瀬健太。球団にも師匠にも恩返しとなるような、さらなる活躍を見せて欲しい。

(上杉あずさ / Azusa Uesugi)

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