中村晃を追った1年間の“記録” ノートに記した442打席…心から感動したHRと“褒め言葉”

中村晃の1年間を追いかけたノート【写真:竹村岳】
中村晃の1年間を追いかけたノート【写真:竹村岳】

中村晃の打席を全て記録…自分なりの感想も記してきた

 心からリスペクトする「晃さん」のことをもっと知りたい。その気持ちを何かの形で表現したいと思った。レギュラーシーズンからポストシーズンまでの442打席。その全てに目を通してようやく、少しだけ理解が深まった気がした。中村晃外野手に問いかけたのは「記憶と技術」。36歳の脳裏に焼き付いていたのは、チームを救う“最高の凡打”だった。

 全ての打席を記録に残そう――。うすうすと抱いていた思いを実行に移した。半年間にわたるペナントレース。決心したことを継続できるのか、自分に対する「根性試し」のつもりでもあった。リュックには常にノート、ボールペン、ハサミ、ノリの4点を常備。球種、コース、そして打撃結果を毎日ノートにしたためた。球場に背番号7がコールされれば、1球1球に全力で集中する。データだけでなく、自分なりに抱いた感想や描写も記してきた。

8月26日に中村晃が通算1500安打を達成した時の記録【写真:竹村岳】
8月26日に中村晃が通算1500安打を達成した時の記録【写真:竹村岳】

 クライマックスシリーズを終えて、このノートを本人に見せる時がきた。質問したのは2つ。「記憶に残っている打席と、技術的に『これはすごかった』という打席が知りたいです」。まずは前者に対してはすぐさま「1つしかない」との答えが返ってきた。「4番・一塁」でスタメン出場した9月24日の楽天戦(楽天モバイルパーク)。初回無死満塁の大チャンスで回ってきた打席だった。

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続きの内容は

・中村晃が明かす「最高の凡打」の真価とは
・秘められた駆け引き「辞めたら言うよ」の真相
・筆者が「感動」した1号3ランの舞台裏

1点を取っていなかったら「あの先もっと苦しかった」

 結果を見れば、打点付きの二ゴロだった。何気ない凡打に見えるが「あそこで1点を先制できたのは本当に大きかった」という。日本ハムとデッドヒートを演じたレギュラーシーズン終盤。チームは9月20日からオリックスに4連敗を喫していた。18イニング連続無得点と打線は湿ったまま、仙台へと移動。ゼロが続いている状況を、誰かが止めなければならない。その重圧がナインの背中にはのしかかっていた。

「その後に(柳町)達が犠牲フライを打ちましたけど、『1点が入っていたおかげで気持ちが楽になりました』と言っていましたね。『入っていなかったら心臓が持ちません』って」。その後にチームはラストスパートをかけてリーグ優勝を掴み取ったが、歓喜の瞬間を前にして直面した“最後の苦しみ”であったことは間違いない。中村にとって、この1打席が“会心の大仕事”だった。

「開幕からリーグ優勝を目指して戦ってきた中で、シーズンならではの流れ、難しさを感じる場面でした。あそこで1点を取れていなかったら、あの先もっと苦しい戦いになっていただろうと思います。短期決戦ならアウトになっても、とにかく切り替えること。三振もゴロも同じアウトですから。だけど『ここで三振だけはしちゃいけない』とか『ゴロでも1点入る』っていう“場面の見極め”は、短期決戦でもレギュラーシーズンでも、常に大切にしていることなので。そういう意味ではいい仕事ができたのかなと」

9月2日に中村晃が代打で適時打を放った時の記録【写真:竹村岳】
9月2日に中村晃が代打で適時打を放った時の記録【写真:竹村岳】

技術的な意味では…あえて明かさなかった駆け引きの裏側

 技術面で手応えを感じた打席については即答とはいかなかった。「どれだろうね……。技術と言っても、いっぱいあるからね。それがバットコントロールなのか、駆け引きというところなのか」。プロで18年間培ってきた自らの“こだわり”を一言で表現できるはずがない。最後まで記憶をたどり、「これだ」という打席を見つけようとしてくれた。

 それならばと、筆者が思いつくシーンを挙げてみた。まずは9月2日のオリックス戦(みずほPayPayドーム)。1点を追う7回1死三塁の場面で代打で登場すると、宮城から左前に同点適時打を放った。球界を代表する左腕の凄みについては本人の口から直接聞いたことがあったから、より印象的だった。

 筆者の記憶に強く刻まれていたのは、打席内でのアプローチにも工夫を感じたからだ。初球から3連続で投じられたスライダーに、2度空振りして追い込まれた。続く4球目も外角低めへのスライダーだった。相手の勝負球にバットを伸ばし、左前に運んだ一振り。「もちろんすごいスライダーだったんだけど、運の部分も正直あった。真っすぐだったらまた違う結果になっていたと思うよ」。謙遜しながら振り返った36歳。代打のたった1打席で対応し、結果につなげてみせたのは、まさに技術の賜物だったはずだ。

 日本ハムと戦ったCSの話題にもなった。10月18日の第4戦、初回2死一塁で右腕・北山から右翼線を破る適時三塁打を放った。次の打席で一塁審判と激突したこともあり、これが今季最後のヒットになった。追い込まれながらも、152キロを弾き返した会心の一打。「北山から打ったのは“読み”だったかな」と口を開いたが、「でもこれは……。辞めたら言うよ」と裏側までは語らなかった。第一線で戦い続ける男の言葉。「教えてもらえなかった」のではなく、「いつかその答えを聞かせてもらえるのが楽しみだ」という感情で心はいっぱいになった。

4月17日に中村晃が1号3ランを放った時の記録【写真:竹村岳】
4月17日に中村晃が1号3ランを放った時の記録【写真:竹村岳】

春先の苦境…1号3ランを見て「心から感動した」

 筆者目線で「記憶に残っている打席」を挙げるとすれば、4月17日の楽天戦(みずほPayPayドーム)だ。6回に放った先制の1号3ラン。バックネット裏の記者席から眺めた放物線は、今もはっきりと覚えている。当時のチームは6勝8敗1分け。主力が次々と離脱し、なんとか苦境を乗り越えようと選手1人1人が全力でプレーしていた。ダイヤモンドを回る背番号7に、スタンドからは惜しみない拍手と大歓声が送られる。ベンチ前では満面の笑みで盟友・牧原大成内野手とハイタッチを交わした。

 野球記者という仕事を始めて9年目。凄まじいバッティングや投球を見て「えぐいな」と思うことはあるが、胸を打たれることはなかなかない。「グラブを置いていい」という言葉から始まった2025年。代打に専念するはずだった男が、苦しんでいるホークスを救おうと全てを捧げている。選手の姿を見て「自分も頑張ろう」という感情になったのは、恥ずかしながら初めての経験だった。そんな気持ちを真正面から伝えると照れ笑いされたのだが、何度でも言いたい。窮地で目にしたこのホームランに、心から感動した。

 バッティング練習にも、目を凝らしてきたつもりだ。今季はもう1度、自身のバットコントロールで勝負すると誓っていた背番号7。春先、試合前の調整では常にセンター返しを心がけているのが印象的だった。その姿に変化が見られたのは8月ごろ。1球1球、声が出るほど強振するようになっていた。疲れもピークを迎える夏場。「その方がいいと思ったんだよね」。自分の中で抱いていた印象が、間違っていなかったことも知れて嬉しかった。

 リーグ優勝を決めたのは、シーズン139試合目だった9月27日。規定打席まで残り「17」だったが、「そこは全然よかった」と首を横に振った。代打に専念するはずが、かけがえのない存在として日本一に貢献。「こんなに打席に立てると思っていなかった」というのは心からの本音だった。ノートを見せる直前、あのドキドキした緊張感は「1年間、頑張って追いかけてきたから」と胸を張って言える。「すごいね」。中村晃がくれた褒め言葉を、絶対に忘れない。442打席も見ることができた2025年、私たちファンは本当に幸せだった。

(竹村岳 / Gaku Takemura)