プロの世界「価値を下げるのも自分」 中村晃の“本音”…ヒットを打つのは「甘くない」

ボテボテの打球でも全力で走る中村晃【写真:古川剛伊】
ボテボテの打球でも全力で走る中村晃【写真:古川剛伊】

本人は照れ笑いも…内野安打で見た中村晃の矜持

 打率3割を残せば一流と呼ばれるプロ野球の世界。裏を返せば、一流打者でも7度は失敗する。凡退する姿に現れるのはプレーヤーの“本質”――。1500本もの安打を積み重ねても、中村晃外野手には貫く“矜持”がある。

 筆者がホークスを取材するようになったのは2020年から。もちろん全てではないが、単純計算すれば560本のヒットを担当記者として目にしてきたことになる。華麗な流し打ちや、2023年に放ったサヨナラホームラン。印象に残っている一打はたくさんあるが、胸を打たれたのは今年5月21日の日本ハム戦(エスコンフィールド)で放った、会心とは程遠い1本の安打だ。

 2回無死の第1打席、北山のカットボールに手を出すと、ボテボテの打球が一塁線に転がった。当たり前のように全力疾走する背番号7。処理しようとした北山はボールが手につかず、結果は内野安打になった。

 どんな打球であろうと、アウトとコールされるまで諦めない。やろうとすれば誰にでもできるはずの「全力疾走」という姿勢に、中村の矜持を見た気がした。本人は「ラッキーヒットじゃないですか」と照れ笑いするが、当然といった口調でこの1本を振り返る。若手時代味わった厳しさは、35歳となった今も絶対に忘れない。

雁の巣球場で思い出した若手時代「まだまだ子ども」

「だってそれは、自分のヒットのためだから。そのために全力になれないとダメでしょ。当たり前のことかもしれないけど、全部自分に返ってくることですからね」

 結果が全ての世界では、どこまでも個人成績がついて回る。一瞬でも手を抜いてしまえば、評価へと直結する。「適当にやってダメだったとして、価値を下げてしまうのも自分。プロですから。いいことはもちろんですけど、悪いことも“自分のせい”です」。準備から結果まで、一人のプロ野球選手として責任を背負うこと。1500安打を積み上げた男からは、乗り越えてきた数々の試練が伝わってきた。

 2024年オフのことだった。シーズンを戦い抜き、秋風が吹き始めたころ。雁の巣球場で野球教室が行われた。「ここにくると、やっぱり懐かしいよね」。ルーキーイヤーから、若手時代を過ごした思い出の地。そして、中村が“プロ意識”を作り上げた場所でもある。

キャリアを振り返ると「3年目が一番しんどかった」

 プロ2年目の2009年に恩師の鳥越裕介氏が2軍監督に就任した。生活はより一層、野球に染まった。「試合が終わってからも特守、特打は当たり前にやっていました。鳥越さんが(2軍)監督になってからは、そこに“特走”も加わったんです。寮も近かったので、帰ってからもバッティングしたりとか。1日中、野球漬けでしたね」。五十嵐章人氏、宮地克彦氏ら当時の担当コーチから叩き込まれた厳しさが、今の自分にもつながっている。

「18歳でプロに入って、まだまだ子どもじゃないですか。礼儀や挨拶といった野球以外の部分から教育してもらったことが良かったのかなと思います」。雁の巣にはまだまだ思い出があるはずなのに、そう語る表情は少し思い出したくなさそうでもあった。「自分の場合は3年目までが一番しんどかったですからね……」。厳しさとともに、それだけ大切なことを教わってきた証。圧倒的な練習量、周囲の支え、何よりも自らを律する心で、中村晃という男は作られてきた。

 1500安打という節目の数字が近づくにつれ、記録への意識も口にするようになった。本来なら、代打に専念するはずだった2025年。ヒット1本を打つことがどれだけ難しいのか、骨身に染みている。「そんな簡単に打てるものじゃないですよ。周りは『今年達成できるでしょう』って思うかもしれないですけど、自分自身が一番『そんなに甘くない』って思っています」。競争が、自分を強くすることを知っている。貫いてきた自分の道のりに、後悔は一切ない。

「こんなに毎年、優勝争いをしているチーム。若い選手は大変なところもあると思うけど、(競争に)立ち向かっていくことで得ることがあると思う。だからいい選手になっていけると思うし、強いチームでレギュラーになるということが僕は大事だと思ってやってきました」

 だから中村晃は、全力で走る。自分を育ててくれたホークスに、少しでも貢献したいから。

(竹村岳 / Gaku Takemura)