
2017年の舞台裏…54セーブの背景にあった壮絶な日々
ホークスに移籍して4年目を迎えた2017年。デニス・サファテ氏はシーズン54セーブというNPB新記録を打ち立て、パ・リーグMVPに選ばれた。「成績的には私の中で最高の1年でした」と胸を張る。しかし、グラウンド外では壮絶な日々を送っていた。寝る時間すら惜しんで、米国にいた家族のために連絡を取り続けた。夏場には首脳陣に激怒、そして謝罪――。8年が経った今、数々の舞台裏を打ち明けた。
「心配事は、妻と子どものこと、全てでした」。妻・ジェイダさんの体調が思わしくなく、5月にはチームを離れて母国へ一時帰国した。「正直、かなりクレイジーでしたね」。当時の感情は色濃く覚えている。家族がいるアリゾナ州と日本では16時間の時差がある。起床後、練習後、そして登板直前まで……。1日の間で何度もビデオ通話をつなぎ、言葉を交わした。
「チームとして日本一になることもできましたし、フィールドでは最も楽しいシーズンを過ごすことができました。ただ、フィールド外では家族のことで苦しんでいたので……。ほろ苦い時間でもありましたね。彼らは元気だろうかと常に思っていました。素晴らしい1年であると同時に、メンタル的にもタフだったという記憶はあります」
担当通訳も心配顔…「寝られなかったのでは」
山田雄大通訳が「寝られなかったのでは」というほど、目まぐるしい日々。サファテ氏も「(時差の影響で)夜遅くまで起きていることも多かったですね。朝の7時に起きたら、向こうは昼の3時くらい。彼らと電話で話をして、ご飯を食べてから球場に行っていました」と振り返る。だからこそ、周囲のサポートには今も感謝しかない。「タカさん(山田通訳)と、(当時通訳の)上田(徹平)さん。2人の存在があったから、なんとかシーズンを乗り越えることができた」。孤独を感じさせないよう、頻繁に食事へと連れ出してもらったことも大切な思い出だ。
シーズン序盤からチームは着実に貯金を増やし、右腕もセーブを積み重ねていった。143試合を戦う長丁場。サファテ氏の思いがあふれてしまったのは、8月1日の出来事だった。オリックス戦(京セラ)でロメロにサヨナラ弾を浴びると、報道陣の前で「先発投手が早いイニングで降りていたら、そのツケはこっち(リリーフ陣)に回ってくる」と口にしたのだ。
疲労が蓄積する夏場。右腕は7月、20試合のうち13試合に登板していた。早期降板が続いていた先発陣、そして首脳陣に対する思いをハッキリと言葉にした。当然、大きく報じられたこの一件。サファテ氏は「はっはっは」と笑いながら、当時の状況を振り返った。
8月1日には首脳陣に痛烈な言葉「ツケ回ってくる」
「岩嵜(翔)もすごく連投していたはずです(20試合中、12試合に登板)。救援陣はとても疲弊していました。しかし、それが野球でもあるのです。記者の人たちから質問を受けて私が発言したことは、その時は必要だったのかもしれないし、もしかしたらそうでなかったのかもしれません。チームとしてミーティングの場を持っていれば、その場で(公に向けてではなく)非公開で対処できたかもしれません。私は(発言について)後悔はしていませんが、メディアが色々と報道してくれましたね」
一切、忖度のないコメント。報道陣に「書いてくださいね」と念も押したという。一歩間違えれば“采配批判”とも受け取られそうな強気な言葉。「発言の意図は『反対する』ことではなかったし、工藤さんのことを尊敬していないというわけでは決してありません」と強調する。「単純に登板しなければならないことにフラストレーションを感じていたし、とにかく救援陣は疲れていたんです」。チームメートを守るため、そして秋にラストスパートをかけるために、自分が矢面に立った形だ。
発言をした翌日の朝、新聞を目にしたのだろう。工藤公康監督から、ホテルの自室に呼ばれた。指揮官から伝えられたのは、叱責ではなく謝罪。「工藤さんは私が勝ちたがっていたことを知っていました。熱い人間だということもわかってくれましたし、彼を勝たせるための手助けをするということです。すでにいい関係を築いていたのですが、あの出来事がさらに、そして少しだけいいものにしてくれた」。
先発陣にも自ら謝罪…チームを一丸にした出来事
グラウンドでは、自ら先発投手陣に頭を下げた。練習前に時間をもらい、「みんなのことを敵対視しているわけではないんだ」。亀裂を生もうとしたのではない。チャンピオンになるため、このままではいけないんだと伝えたかった。「みんなのことを心から応援している。今よりもいい投球をしてもらいたいと思っている。それを知ってもらいたいだけなんだ」。8月以降は49試合で32勝17敗。ラストスパートをかけてリーグ優勝をつかみ取ると、勢いのまま一気に日本一へと上り詰めた。「(京セラの)あの出来事がターニングポイントだった」と忘れられない出来事だ。
「工藤さんは本当に素晴らしい監督でした。『相談に乗るよ』といつも言ってくれたし、強い絆が生まれやすかったんだと思います」。指揮官として、そして守護神として立場は違えど、ホークスの常勝時代を築き上げた2人。壮絶なレギュラーシーズンを終えた先に待っていた、DeNAとの日本シリーズ。“伝説の3イニング”が生まれたのも、もうサファテ氏を頼るしかない状況だったのだ。
(竹村岳 / Gaku Takemura)