「本当に行ってよかったです」と声を弾ませたのが、西田哲朗広報だ。チームは12月10日に福岡空港からハワイに飛び立ったが、9日に前入り。ほとんどのスケジュールをテレビ収録とともにし、選手たちの現地到着を見守った。「下準備の時間がめっちゃ大事でした。言葉も通じないし、外国人選手と話す英語とは違いますから」。業務をこなす中で明かしたのは、柳田悠岐外野手のために工夫を加えた舞台裏だった。
西田広報にとって、ハワイは11年ぶり。楽天時代の2013年、球団創設初の日本一になると当時入団4年目だった自身も、優勝旅行を楽しんだ。「その時は、松井稼頭央さんが若い選手の面倒を見てくれて、毎日ご飯に連れて行ってくれました。ハワイと日本は環境が全然違うので、向こうで見た景色、文化の違いとかも味わって『やっぱり優勝してよかったな』と思いました」。一緒に行った海、高価だったステーキの味……。経験した全てが、今も大切な思い出となっている。
2018年からホークスの一員となったが、選手として優勝旅行に参加しなかったことを「後悔しているんです」という。「両親とか連れて行けばよかったですよね」。競争する立場だったからこそ野球に集中する必要もあったが、ハワイでも練習はできると今なら冷静に理解できる。「気持ちのリフレッシュもそうですけど、プラスに働くことが多いと思うんですよね。そういう経験があるなら、行けるなら行った方がいいんじゃないかなって」と、自分なりに若鷹の背中を押し続けていた。
「誰も『なんで来てるん』って、絶対にならないです。それは頑張って得た権利ですから。行った選手は感じるものがあると思うし、家族だって喜んでくれる。じゃあ来年行けるかと言ったらわからないですし、怪我もするかもしれないじゃないですか。優勝への気持ちは変わらないですけど、簡単なものではないですからね。もう1回ハワイ行けるように頑張ろうと思うのも、モチベーションの1つですよね」
ハワイでの現地時間は、選手にとっても家族と過ごすタイミング。一方で、西田広報は「向こうでの姿、表情というのは、優勝した時にしか見せられない」と、できる範囲での取材調整を行った。テレビ収録を入れたのも「言い方を変えれば、どこに行けばわからないなら、こちらが提案したプランで行動してみないか、と。ご飯も手配したところで食べてもらえたらと思った」。少しでも思い出になることを祈っていたから、映像に収めようと力を尽くした。
仕事に集中したからこそ、「めちゃくちゃいい出会い」もあった。選手たちをアテンドするためのコーディネーターと西田広報は多くの時間をともにした。当然、現地のお店や情報に詳しく「芸能人とかも案内される方ですし、日本人女性なんですけど英語も話せるし。『僕ももっと頑張らなあかんな』って思いました。海外で活躍されている人に触れて、僕の中ではプラスになりました」と多くの学びを得た。
柳田悠岐外野手がテレビ西日本と「教えてギータ先生」の収録を行った時。現地の子どもたちが飛び入りで参加したのも、コーディネーターによる発案だったという。「その人は店の予約をするとかだけじゃなくて、選手のことも考えてくれていました。子どもたちを呼んだのも『こういうことをしたら面白いんじゃないか』と、提案して、ディレクターさんと打ち合わせをされていましたし。流れとしても非常にスムーズでしたよ」。与えられた役割に、プラスアルファを加えて仕事をこなす。常に心がけていることではあるが、西田広報にとっても発見の連続だった。
「お店の手配もすごかったです。その人の繋がりだからできていたと思うので。僕が経験させてもらったのは、人の繋がりでいろんな人に出会わせてもらったこと。今回行かせてもらったんですけど、観光じゃなくて、仕事だったからこそ出会えた人もいるわけじゃないですか。本当に行ってよかったです」
昨年はリーグ優勝を経験し“優勝したチームの広報”も経験した。2025年はスタッフに転身して5年目のシーズンだ。妥協なく仕事をこなして、またハワイの景色が見たい。