「津森、津森!」 周東佑京に呼び出され…ロッカー裏、長崎の“アナザーストーリー”

ソフトバンク・津森宥紀(左)、周東佑京【写真:荒川祐史】
ソフトバンク・津森宥紀(左)、周東佑京【写真:荒川祐史】

2024年は48登板も…拭えない悔しさ「誰に聞いてもあの試合」

「津森、津森!」。長崎での試合に敗れた後、ロッカーの裏で選手会長に呼び出された。あえて厳しく接してくれたのは、チームリーダーだけではない。津森宥紀投手の“アナザーストーリー”だ。

 2025年、リーグ連覇と日本一奪還を目指すホークス。小久保裕紀監督も、中継ぎ陣について「かなり競争は高い」と明言した。固定したいメンバーとして名前が挙がったのは6人。ロベルト・オスナ投手、松本裕樹投手らに加えて、尾形崇斗投手、杉山一樹投手らにも期待を寄せていた。そこからは漏れることになり、「ここまで怪我をせずにずっと投げてきて、名前がないのは悔しいです」と語るのが津森だ。

 2024年は48試合に登板して5勝2敗、防御率2.13。堂々の成績を残したものの8月は乱れ、防御率は6.43だった。8月28日のオリックス戦(長崎)では7回2死満塁から登板したが、3連続押し出し四死球で結果を残せず、2軍降格を通達された。「体力はそんなに落ちていなかったと思うんですけど、コンディションにズレというか、ギャップがあったからです」と分析する。メンタル面ではなく技術面に原因を見出し、改善に取り組んできた。

「誰に聞いても『“あの試合”が……』って言うと思いますし、自分の中でも同じです」と津森が語る、2024年を象徴するシーン。マウンド上では、今宮健太内野手から「もっと堂々と投げろ」と言われたことは、ファンの間でもすぐに広まった。一方で26歳の右腕は、周東からもこんな声をかけられていた。

「お前が引っ張らなあかんぞ」

 試合後、「津森、津森!」と手招きされてロッカーに呼び出された。2人きりの空間で、真っすぐに伝えられた。「本当にその通りです。下の子を引っ張っていかないといけないし、自分がそういう姿を見せたらあかんなって」。この日、周東自身も4打数無安打に終わった。自身の役割を果たせずに悔しい思いを抱いていたはずだが、後輩への目配りを忘れることはなかった。

 3連続押し出し四死球で、1死も奪えずに降板した。いつもならベンチの前に立ち、ナインを応援する津森だが、この瞬間だけは呆然としてしまった。「ベンチでも悩んで、自分で考え込んでしまっていました」。2025年には6年目を迎える。後輩が少しずつ増えてきたからこそ、周東の言葉は「試合中にそんな姿を見せるな」というメッセージだったとも受け取っている。「『(結果が出なくても)そうなってもお前の立場は、引っ張っていかなあかん方なんやから』って言われました」と背筋を伸ばした。

 津森と周東。あまり関係性がないように感じられる2人だが「普通に話はしますよ」と言う。2024年に選手会長に就任し、常にチームの先頭に立ってきた背番号23について、津森は「ちゃんとしている時はほんまにすごいです。(引っ張る意識が)見えますし、発言もそうですけど。自分もそういうところからもっと見習っていかないといけないです」と語る。中継ぎと野手で接点は少なくとも、背中で示してくれる先輩の1人だ。

ソフトバンク・周東佑京【写真:矢口亨】
ソフトバンク・周東佑京【写真:矢口亨】

 2023年7月、チームが11連敗を喫した夜、千葉市内の飲食店で決起集会が行われた。発起人は中村晃外野手で、選手たちが集結。津森は甲斐拓也捕手、今宮らレギュラー陣が集まっていたテーブルで、真剣な話に耳を傾けていた。そこでも中村晃から「お前が引っ張っていけ」と声をかけられた。大津亮介投手や長谷川威展投手ら後輩の面倒をよく見ていることは、先輩たちもよく知ってくれている。大きな期待は、何度も言葉で伝えられてきた。

 長崎での一戦を終えて、チームはバスで福岡に向かった。眠りにつく選手もいる中で、津森は目を覚ましていたという。帰宅した時には、日付をまたごうとしていた。愛息はスヤスヤと眠っていたが、妻は帰宅を待っていた。「思うように投げられへんかったわ」。弱音を漏らすと、優しく「次、頑張ろう」と声をかけてくれた。2軍からの再出発が決まった日だったが、「プラスになることだけをいつも言ってくれる」という妻の存在に救われた瞬間でもあった。

 当然、誰よりも厳しい言葉をくれた今宮にも「そういうことを言ってくれるから、こっちもまたやったろうって気持ちになれますし。年齢的にも結構投げさせてもらっているので、自分がああいうふうになったらあかんなって思いました」と感謝は尽きない。期待は感じている。2025年、もっともっと欠かせない存在になりたい。

(竹村岳 / Gaku Takemura)