中村晃は食事に「誘いづらい」 岩嵜翔の強烈な初対面…嘉弥真新也と1989年世代

ソフトバンク時代の嘉弥真新也(右)【写真:本人提供】
ソフトバンク時代の嘉弥真新也(右)【写真:本人提供】

午前に練習をして午後から仕事…「1番キツかった」のはクラブチーム時代

 鷹フルはソフトバンク、ヤクルトでプレーした嘉弥真新也投手の単独インタビューを行いました。3日連続公開の最終回、テーマは「1989年世代」です。中村晃外野手、岩嵜翔投手との思い出を振り返ります。“真逆”だった初対面……。どのようにして、同学年との関係性は深まっていったのでしょうか?

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 嘉弥真は沖縄・石垣市出身。2011年ドラフト5位でプロ入りを果たしたが、離島出身であることは「絶対にハンデです」と言い切る。八重山農林高、ビッグ開発ベースボールクラブ、JX-ENEOSとアマチュアでキャリアを積んだ。1番キツかったのは「クラブチームの時ですね」と明かした。具体的な業務は「不動産の管理部」だったという。

「仕事と野球をしないといけなかった。午前中に練習、午後に業務。午前に4時間練習して、正午から(午後)1時までは移動とご飯の時間。出社して、7時までが仕事です。僕ら管理業務で、物件を1日、8件から多くて13件とか15件、清掃して回るんです。何時から何時まで清掃したっていう報告書を書いて、業務の感想、野球の感想を、毎日提出するんですよ。それを3年間、続けました。野球の面でも、練習が厳しかったんですよ。4時間なんですけど、土日は試合に充てられるので。しんどかったですね」

 高校時代は2番手だった。「センターで、バッティングはよかったですね。でも、大した選手ではなかったです」と振り返る。甲子園出場経験はなく、無名の存在ではあった。3年夏に引退して、秋になっても進路が決まらずにいた。「11月か12月くらいに、監督から『野球をしながら業務ができるところがある』って言われて、決まっていなかったので『あ、行く行く』みたいな感じでした」。覚悟をしていなかったわけではないが、仕事と野球の両立は、想像以上にハードな日々だった。

「クラブチームに行った時も、3か月で『やめる』って親に連絡しました。親も僕の性格をわかっているので『わかった。やめる理由を考えておく』って言われて、自分も安心するじゃないですか。1か月が経っても連絡がこず、結局1年間やったんですよ。そしたらもう慣れてくるじゃないですか。『もういいよ、やるよ』みたいな感じで。それも親の作戦だったのかもしれないですね」

ソフトバンクナイン【写真:本人提供】
ソフトバンクナイン【写真:本人提供】

 JX-ENEOSを経て2011年ドラフト5位でにプロ入りを果たした。岩嵜は2007年ドラフト1位、中村晃は同3位と、2人とも高校時代から注目された存在だった。“真逆”だった初対面を、笑いながら振り返る。

「最初に寮に入って、一番に話したのが晃(中村)なんですよ。すぐに晃から『同級生だからよろしくね』って話しかけてくれて。『わからないことがあったらなんでも聞いてね』って。入ったばかりだから、僕も何もわからないじゃないですか。『ありがとう、同級生』って思いました」

「岩嵜とは寮が隣の部屋だったんですよ。それで僕が部屋に入ろうとしたら、自主トレの荷物とかを準備していた。僕も新人なので『初めまして、嘉弥真です。よろしくお願いします』って言ったら、『おう』って言われて、『なんなんこいつ』って思いました(笑)。同級生なのに晃とえらい差あるなって思いましたね」

 口数も多くない岩嵜だから、今なら人見知りをしただけだと理解できる。「キャンプに入ってから仲良くなって、同じリリーフだしご飯に行くことも多くなった。一緒にいる時間は長かったですね」と、関係性はすぐに深まった。「晃も仲良いですけど、投手同士の方が一緒にいる時間は長かったです。3人で飯に行くことも多々ありましたし。2人で行くこともありました。晃は試合に集中したいので、誘いづらいんですけどね」。それぞれが欠かせない存在として、ホークスの優勝に貢献していった。

 岩嵜は、2017年にリーグ最多の72試合に登板した。その後は怪我に悩まされる。「僕も試合で投げないといけないんですけど、やっぱり早く帰ってきてほしい気持ちでした。ちょくちょく『治ったか?』みたいな連絡はしていたと思います」。同年から6年連続で50試合登板を果たすなど、ブルペンに欠かせない存在になっても、嘉弥真は盟友の存在を気にかけていた。現役引退を決め、自ら決断を報告した。

「電話しました。『マジか』って言っていました。岩嵜は1番長いし、1番仲良かったですね。まさか先にやめるとは思わなかったですけど、だからこそ長くやってほしいですね」

 そしてイタズラっぽく「岩嵜は優先的に応援しようかな」と笑った。どんな立場になろうと、同学年として一緒にプレーした日々は大切な思い出。優勝に貢献した日々は、それぞれの胸の中でずっと輝いている。

(竹村岳 / Gaku Takemura)