5月17日の西武戦…今季初の「ピンクフルデー」で周東がお立ち台に
鷹フルがお送りする周東佑京内野手の単独インタビュー。4日連続公開の第3回、テーマは「母」についてです。4月に最愛の人は、天国へと旅立ちました。その約1か月後に行われた「ピンクフルデー」。実は、お立ち台でファンに呼びかけていた“ある思い”がありました。「僕も何かしたいんです」。一生忘れられない見た景色に迫ります。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
選手会長としてチームの先頭に立ち、人前で発言する機会が増えた。ヒーローインタビューにも、何度となく立った。4月に最愛の母が急逝した今シーズン。周東なりの「思い」を口にしたのが、5月17日の西武戦(みずほPayPayドーム)だった。
球場が一色に染まる「ピンクフルデー」として行われた一戦。2回に1点を先制し、なお2死満塁のチャンスで打席に立った。右前に弾む2点打を放ち、チームも勝利。選手会長はお立ち台に立った。スタンドの景色について問われると「いつもと違う雰囲気の中でできて、嬉しいです。選手もいろんな思いで、プレーしている中で、今日勝てたのはすごく良かったです」と、頷きながら口にした。「いろんな思い」に込められていた真意とは――。母の存在を踏まえ、こう語った。
「僕らも人間ですし、見えているのって華やかな部分だけじゃないですか。どれだけ頑張って練習しているとか、プライベートで何があったとか、わからないと思うんです。だからといって、そこをわかってほしいわけじゃないですけど。人間だからいろんな思いを感じながらやっているんですよ、というところだけわかっていただけたら。(いろんな思い、の意味は)そのくらいです」
4月に4日間、チームを離れた。その際に広報から報道陣に通達されたのは「身内の不幸」。それが母だったことが公になったのは、リーグ優勝以降だった。なかなか発言できないような繊細な思いを抱えながら選手はグラウンドに立ち、戦っている。ほんの少しでも伝えたくて「いろんな思い」と表現したのだった。たった3試合しかないピンクフルデーの初戦で、ヒーローになったことは“奇跡”にも思える。お立ち台では「仕事って感じでした」と笑ったが、表情を変えることなく発言する姿は凛々しかった。
周東は昨シーズンから、ヘルメットのツバの部分に「ピンクリボン運動」のシールを貼っている。「貼っておこうかなくらいの気持ちです」。乳がん検診の受診、早期発見を啓発、推進する取り組み。かつて選手、コーチとしてホークスに在籍していた鳥越裕介氏が2008年に愛妻を乳がんで亡くしたことがきっかけとなり、始まった運動だ。2018年からは中村晃外野手に引き継がれている中で、今シーズン終盤、ロッカーでこんなやり取りをしたそうだ。
「シーズン終わりくらいだったかな。僕も『何かしたいんです』って話を、晃さんとしていたんです。お母さんのこともあったし、もうちょっと稼げたらいろいろとできることがあったらしたいと。一緒に相談していました」
中村晃自身も、ピンクリボン運動の後継者として周東の名前を挙げていた。「晃さんにはもうちょっとやってもらわないと困ります」と謙遜していたが、「『誰かがやらないといけないですよね』って話はしました」とも明かす。契約更改交渉はまだ先に控えているが、今季の推定年俸は4500万円。さまざまな意味で、自分自身にもう少し余裕が生まれれば、誰かを救うためにプレーがしたい。
昨シーズン中、母の人柄について「怒られたこともないですし、優しいです」と語っていた。最愛の人が天国へと旅立ち、辛かった胸中は一言では表現できないだろう。2024年の戦いが全て終わり、周東はチームへの「感謝」を口にした。
「すごく支えてもらいました。家族もそうですし、周りの選手もそう。監督、コーチにも声をかけてもらいました。1年間終わって、みんなに感謝しているシーズンかなと思います」
4月25日のロッテ戦(ZOZOマリン)で、1軍に戻ってきた時には栗原陵矢内野手や川瀬晃内野手らとハグを交わしていた。シーズン中、登録抹消せずにいてくれた首脳陣の判断にも「アメリカだったらすぐに(家族のために)行かせてもらえたりするけど、日本だとなかなか難しいイメージがありました。(小久保裕紀)監督はすぐに行かせてくれましたし、チームに理解があったからすごく助かりました。自分からも事前に伝えておいたので、それがスムーズに進めたのかなと。一番は監督のおかげだと思います」と頭を下げていた。
選手会長に就任したシーズン。痛みも辛さも抱えながら、リーグ優勝に貢献した。「いろんな思い」を胸に秘めて戦う周東佑京は、本当にカッコよかった。
(竹村岳 / Gaku Takemura)