緒方理貢は野球を「辞めようと」 “全無視”された意見…大学時代のドロップアウト

ソフトバンク・緒方理貢【写真:竹村岳】
ソフトバンク・緒方理貢【写真:竹村岳】

日本シリーズ初出場の緒方理貢…大学時代は「野球への熱も冷めました」

 ドロップアウトを経験して、大舞台へとたどり着いた。野球への「熱も冷めました」。道のりは決して楽なものではなかった。

「SMBC日本シリーズ2024」が26日、横浜スタジアムで開幕し、ソフトバンクが5-3でDeNAを下した。先発の有原航平投手が7回無失点の好投。2回2死満塁の好機では右前に2点適時打を放ち、投打で勝利に貢献した。主力の今宮健太内野手、栗原陵矢内野手が適時打を放つ活躍を見せる中、プロ4年目でシリーズ初出場を果たしたのが緒方理貢外野手だった。

 8回1死二塁のチャンスで、ベンチは近藤健介外野手を代打に送った。DeNAベンチは申告敬遠を選択。近藤の代走として出場したのが、緒方だ。得点にはいたらなかったが、そのまま左翼の守備にも就いた。9回2死一塁の打席では二ゴロに終わったが、シリーズ初打席も経験。「いつもと同じプレーを心がけながら、その中で活躍ができたら」と語っていたように、地に足がついたプレーを見せた。

 宮崎県出身。2020年育成ドラフト5位指名で、駒大からホークスに入団した。今季は支配下選手に登録され、順調な歩みを見せているが、過去には野球を辞めようとしたことがあった。「野球への熱も冷めましたね。大学に行きたくもなかったです」。今だからこそ、具体的な理由を明かすことができる。

「僕が望んで行った大学じゃなかったんですよ。高校時代の監督が駒大出身で、『お前はそこに行け』って。僕の意見は全て無視で、そこに行くのが決まっていました。ずっと前から行きたくないと言っていたんですけど、それで入学したので。自然とそうなりましたし、辛いというか、駒大で野球をするのが嫌だとずっと思っていました。もう辞めようかなって」

 京都外大西高での3年間を終えて、進路を考えたが、指導者に敷かれたレールを歩むことになった。高校に続き、親元を離れる野球留学は2度目だったが、18歳の気持ちは長続きしなかった。野球部には所属しているものの「ずっと部屋にいました。駒大は上下関係も日本一厳しいですから、野球をしないと言っても扱いは同じでした」。寮生活の中でも、部員の1人として規則は守って過ごしていた。キャンパスライフを謳歌するわけでもなく、練習にも出ない。そんな日々が、入学してから3か月ほど続いた。

 気持ちが動いたのは、2歳年上の先輩の影響があったからだった。「部屋長という肩書きがあるんですけど、その人も干されているというか、怒られていたので、ずっと一緒に部屋にいたんです。その部屋長が野球を始めるっていうから、僕もやろうかなって思って」。夏ごろから練習に顔を出すようになった。「たまたま試合に出たら、その時に活躍をしたんです。やっぱり打ったら楽しいし」と振り返る。野球ができる喜びを再確認することができた。気づけば1年の秋には、リーグ戦にも出場するようになっていた。

「その時は2部(リーグ)だったので、1部に上がりたいなと思っていました。試合に出れば、自然とそんな気持ちになりました。久しぶりに練習に出た時に、僕のネームプレートが、内野手から外野手の場所に置かれていたのが一番面白かったです。3か月野球をやっていなかったら、知らない間にポジションも移動していましたね」

 2020年10月26日、運命のドラフト会議を迎えた。プロ志望届も「とりあえず出してみようか」というテンションで、大きな期待は抱いていなかった。同学年の若林楽人外野手(現巨人)が、西武から4位指名を受け、メディアのカメラは若林に向いた。その後ろで、緒方はスーツを着て会見を眺めていた。そんな中、育成ドラフトが始まり「マネジャーから『指名されたよ』って連絡があって、それで知りました。とにかくビックリしました」。プロへの扉が開いた瞬間だった。

 辛い時期もあった大学生活を経て、プロ入りを掴んだ。野球を辞めたくなった時の相談相手は、いつも両親だった。大学1年の春に母親に電話をすると「野球がなくなったら何をするの? とりあえず続けたらいいんじゃない?」と優しく声をかけてくれた。「僕がもう1回、野球に熱くなるのがわかっていたんだと思います。お母さんもお父さんも、キツいことは何も言わずに、怒ったりもせずに、自由にさせてくれました」。どれだけ辛くても、辞める選択をしなかったのは、両親の思いに応えたかったからだ。

 レギュラーシーズンでは1度も登録抹消されることなく、1軍で完走した。日本シリーズという大舞台でも、首脳陣は信頼して送り出してくれた。「一番わかってくれていると思いますし、まだここから結果を残すのが本当の親孝行だと思います」と語っていた胸中。大舞台でグラウンドを駆ける姿。きっと誰よりも両親が喜んでくれたはずだ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)