本格的に投手としてプレーし始めて、まだ2年半ほど。中学時代のポジションは捕手だった村上がドラフト1位で指名されるまで、どのようにして成長してきたのか。「上でピッチャーがしたい」。恩師が受け取った思いと、現在に至るまでにあった成長の過程に迫る。
「(村上がプレーしていた)中学校のボーイズのチームで、神戸弘陵のOBが活動していたので。『肩と体が強いやつがおるよ』と言うので、見させてもらった。僕もキャッチャーとして肩が強いなっていうところからのスタートで。(村上が)中学生の時に『うち、どうや?』と面談した時に、『上でピッチャーがしたい』と。肩もあるし、ピッチャーしようかって。『勝負しにおいで』っていうような感じでしたね」
吹奏楽部の美しい音色が響く校舎。村上との出会いを神戸弘陵高の岡本博公監督が語った。3年前、ブルペンで初々しく腕を振った右腕に対し、「(コントロールは)バラバラでしたけど、強い球投げるなと。そういう印象だけでした」。かつての光景を優しい笑顔で振り返る。
高校に入学してからは投手に専念させてきた。「うちのスタイルは、押し付けをあまりしないので。いろんなことにチャレンジしなさいっていうところから入っていく。こうやってみたい、ああやってみたいということをどんどんやらせてみました。結果、それがしっくりときたのが2年生の秋ぐらいからかな」。試行錯誤を繰り返しながら、村上は成長を続けてきた。
多くの経験を重ねていった右腕は、“負け”を知るたびに変化を見せた。2年夏には、滝川二高から2023年ドラフト2位で楽天に入団した坂井陽翔投手と投げ合った。試合には敗れたものの、プロ注目の右腕から学んだものは投球の上手さだった。「(村上に対して)『ああいう球を放らんとあかんよな。カットボールを覚えようか』と話したんですけど、2週間後にはカットボールをきちっと投げられていたんですよね。『こいつはすげえな』って思いましたね」。すぐに新球種を習得する起用さと成長ぶりに、岡本監督は驚かされたという。
一冬を越えた村上に、再び大きな出来事が起きた。練習試合が解禁となった3月2日に組まれた強豪・報徳学園高との試合。相手投手は、今ドラフトで阪神から2位指名を受けた今朝丸裕喜投手だった。注目投手同士の投げ合いに、多くのスカウト陣が集結。軍配は報徳学園に挙がったが、結果以上に岡本監督が感じたものは、村上と今朝丸の“実力差”だった。
「球速こそ(村上が)勝っていたんですけど、はっきりと『今朝丸とえらい差がついている』ということを言いました。『チームとして欲しいのは、球が速いやつじゃなくて、勝つピッチャーや』って。『ここからお前がどう変わるかやね』っていう話はしました。あの時の悔しそうな顔は印象に残っています。そこからの成長曲線は本当にすごかったなと思います」
同学年のライバルに負けた現実と、岡本監督から伝えられた言葉をしっかりと受け止めた。「『スピード勝負をしてるんじゃないよ。スピードガンのコンテストをしているわけじゃないから』っていう話をしたり、考え方の面を僕はうるさく言ってきました」。投球フォームや体の使い方は申し分ない。あと必要なのは精神面や、考え方の部分での成長だけだった。そこに重きを置いて指導をしてきた結果、ドラフト1位で指名される選手へと駆け上がっていった。
部活の引退後も村上は寮に残り、今も私服は一着も持ってきていない。あるのは制服と寮で過ごすためのジャージだけだ。「遊びには行かないようにしています」。現在も後輩たちの打撃投手を務め、部屋では技術的な成長を目指し、YouTubeなどで野球の勉強を毎日続けている。「僕の指導というよりは、本人が研究熱心な子なので」と岡本監督。これからも右腕の成長を見守っていくつもりだ。