若鷹も刺激に…前田悠伍の“圧倒的な”取材数 配慮した日程調整「妨げにならないように」

ソフトバンク・前田悠伍【写真:竹村岳】
ソフトバンク・前田悠伍【写真:竹村岳】

19歳とは思えぬ取材対応…「僕が言えることはなかった」

 4年ぶりのリーグ優勝を果たしたホークス。鷹フルでは若手からベテラン、裏方さんの1人1人にスポットを当てて、1年を振り返っていきます。今回は、重田倫明2軍広報が登場です。重田広報と、ドラフト1位ルーキー・前田悠伍投手が共に歩んできた1年目。「圧倒的に多いですね。だけど、それは自然の流れだと思います」。2軍選手の取材依頼は、前田悠が群を抜いて多かったそうですが、それはチームにとっても良いことであると重田広報は言います。取材の日程調整などは前田悠から学ぶことも多かったようです。

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「1週間のうち、休みを入れなかったら6日のうち4日ほど入っている時はありましたね」

 重田広報が語ったのは、前田悠の取材頻度のことだ。選手の取材依頼があった場合に日程や時間を調整するのも広報としての仕事。今季、選手から転身した重田広報が驚いたのはその数だった。日々増えるインタビュー申請。「負担になるなと思ったら、かける言葉を変えたりはします」と、黄金ルーキーへの気遣いを忘れないように日程調整してきたという。

「練習の妨げにならないようにスケジュールするのもこっちの仕事です。本人に聞くだけじゃなく、ピッチングコーチだったり、フロント側の人だったり。いろんな人に(前田悠が)どういう動きになるのかをちょっと聞いて、妨げにならないように。だけどメディアの方にはしっかり聞いてもらいたいので、時間を取れるタイミングを作ってっていうのは意識していました。悠伍には聞かずに情報収集して、スケジュールを組むといったことも多々ありました」

 今季の前田悠の主戦場は2軍だったが、3軍に帯同することあれば1軍に呼ばれることもあり、スケジュールの見通しが立ちにくかった。「1週間後とか、3週間後ぐらいの申請でも、目処をちゃんと立てて。今週いつ投げるのかがわかれば、2週間後、3週間後のタイミングもわかるから、そこで調整したり変更したり。メディアさんも動きやすいような動きを取りつつ。あまり公には出せない情報もあったので、難しさはありました」と重田広報は振り返る。

 前田悠の練習の妨げにならないようなスケジュールを組むことを心がけ、登板予定などはコーチ陣にも確認した。球団のスタッフにも今後の動きを確認するなど、その合間で取材対応できるように調整してきた。

ソフトバンク・重田倫明広報の手帳【写真:飯田航平】
ソフトバンク・重田倫明広報の手帳【写真:飯田航平】

 そんな前田悠の対応はというと、「僕は何も言わないようにしていましたけど、逆を言えば、僕が言えることはなかった。だけど、やっぱり子どもじみたところだったり、プロ野球に入ったら上には上がいるから。そういうのは気をつけるように、と言う時もありました。細心の注意はずっとしています。期待値も全然違いますし」。常に世代の中心にいた左腕は、19歳とは思えぬ対応力を見せ、特に制限をかけるようなことはなかったという。たまに19歳らしい一面をみせることはあったものの、それはごくわずか。いつも歯に衣着せぬ受け答えをしてきた。

 筑後で汗を流す若鷹にとっても、前田悠に対する取材の多さは、良い意味で刺激になるのではないかと考えている。今季の筑後では群を抜いていたというほどの注目度。「圧倒的に多いですね。だけどそれは自然の流れだと思います」。しかし、それは他の選手にとっても、1つの相乗効果になる。国士舘大から2018年育成ドラフト3位で入団した重田広報は、ドラフト1位の同学年・甲斐野央投手のメディア対応の多さを見てきた。ドラフト1位選手の注目度の高さは理解していたが、いざ目の当たりにすると、その数は圧倒的だったという。

「甲斐野は引っ張りだこだったので、それを反骨心にして僕はやっていました。その経験があるから、目に見える部分があってもいいと思う。いろんな選手にとって、刺激になるんですよ」。明るく、コミュニケーション能力の高い甲斐野は、すぐにメディアへの露出が増えた。実力もさることながら、人気選手へと駆け上がっていった。そんな甲斐野が取材を受けている姿を目にするたびに、重田広報の負けん気に火がつき、野球に取り組むための力へと変わっていった。

「だからこそ悠伍にはずっとそういう選手であり続けてもらった方が、チーム的にもいいと思います」。元選手からの目線、そして広報としての目線でこう語る。選手は前田悠だけではないからだ。もっと多くの選手が活躍して露出を増やしてほしいと願う。「同学年の長水啓眞とか、藤原(大翔)とかもそうですけど、悠伍よりも上に行くんだと思える材料になる。だからこそ、あいつは突っ走らなきゃいけないんです」と、前田悠への注目度を、同学年の選手らも良い受け止め方をしてほしいと願う。

「あいつ(前田悠)に限ってではないですけど、今年は2軍から1軍に行く選手が相当多かったです。なので、1軍からまた2軍に戻ってきて取材件数が増えるケースが多かったです。悠伍は特に調整が難しかったですけど、悠伍以外にも相当多かったなっていう印象です。すごくいいことですけどね」

 新たな道をスタートさせた重田広報と、前田悠の1年目がまもなく終わる。「同じ1年目だからといって、特別な感情はないです。どれだけサポートできるかっていうことしか考えていないので。だけど、数年後に一緒なんだよなってなるだろうなと思います」。前田悠の成長次第では、筑後で会う機会も減っていくかもしれない。「僕としてはすごく、悠伍を尊敬の眼差しで見ています」。多くの期待を背負う左腕と共に、勝負の2年目へと向かっていく。

(飯田航平 / Kohei Iida)