【単独インタビュー】泣き崩れた“10.2”も…泉圭輔が救われた優しさ 甲斐野央と語らった夜

単独インタビューに応じた泉圭輔【写真:矢口亨】
単独インタビューに応じた泉圭輔【写真:矢口亨】

甲斐野央が人的補償で西武へ…巨人の泉圭輔が明かす2022年“10.2”の舞台裏

 鷹フルは元ソフトバンクで、巨人の泉圭輔投手を単独インタビューしました。人的補償で西武への移籍が決まった甲斐野央投手は、2018年ドラフトの同期入団でもあり、同級生。横のつながりは非常に強い1996年組の中でも、特別な関係として切磋琢磨してきました。印象に残る思い出を、2回にわたってお届けします。第1回は、2022年の“10.2”の試合後。甲斐野投手に「救われた」という夜の出来事について、泉投手が語ります。

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 一生忘れられない“10.2”の夜、朝まで語り尽くした。甲斐野の優しさに救われた夜だ。鷹フルは、巨人にトレードで移籍した泉を単独インタビュー。思い出を振り返ると、2022年の舞台裏が明かされた。きっかけは甲斐野からのLINE。「ちょっと来て」。大切な球友の存在に救われた瞬間だった。

 2018年のドラフトで1位が甲斐野、6位が泉だった。甲斐野は1年目から65試合に登板し、泉は2年目に1軍にフル帯同して40試合に登板する。切磋琢磨する中で「1年目から央があれだけ活躍して、追いつけ追い越せじゃないですけど、同期のみんなはその気持ちがあったと思います」と、常に刺激をくれていた存在だった。具体的な出来事というよりも、1軍で同じ時間を過ごしていると、2人の距離感は自然と縮まっていったそうだ。

 そして、2022年。優勝をかけた10月2日のロッテ戦(ZOZOマリン)で、泉は敗戦投手になる。マウンドで膝に手をつき、試合後は泣き崩れながら球場を後にした。強引にでも宿舎から連れ出し、食事に連れて行ってくれたのが甲斐拓也捕手と嘉弥真新也投手(ヤクルト)だったが、甲斐野も声をかけてくれた1人だった。「ちょっと来て」。そうLINEがあった。「拓さんとご飯に行く前からもう呼ばれていたんです。『部屋きて』って言われたんですけど、拓さんと飯に行くから『終わったら来て』って」と経緯を明かす。

 千葉市内の宿舎に戻り、部屋を訪ねた。森唯斗投手(DeNA)らもいた。「どちらにせよ朝まで起きているつもりだった」と、数人でしっぽりと語り明かしたそうだ。「グダグダとああでもないこうでもないと話をしながら。自分がずっとその日はツイッター(現X)のトレンドにも入っていたので、一緒に見ながら『書かれてんね』って。僕自身はすぐには立ち直れなかったですけど、央とかは別に『仕方なくね』みたいな感じで」。忘れられない夜は、気がつけば午前4時で解散に。みんなの優しさが心に沁みたことは、今でも確かに覚えている。

「1人でいるよりは誰かしらといた方がよかったかなと思いますし、なかなか誘いづらい部分もあったと思いますけど、誘ってもらって、救われたなって思います」

マウンドで膝に手をつく泉圭輔【写真:荒川祐史】
マウンドで膝に手をつく泉圭輔【写真:荒川祐史】

 時計の針を戻し、前日の10月1日の西武戦(ベルーナドーム)の出来事。同じく勝てば優勝という状況で敗戦投手となったのが、1996年組の1人である藤井皓哉投手だった。山川穂高内野手にサヨナラ弾を浴び、藤井は涙を流しながらロッカーに戻る。驚きの言葉をかけたのが、隣に座った甲斐野だった。「はい、これ。今日のホームランボール」。その光景は、泉も隣から見守っていたという。まさに甲斐野にしかできない励まし方だった。

「藤井が打たれて、ボロボロになって帰ってきて、ロッカーで藤井はもちろん動けない状態になっていました。みんなは、次のもチャンスがあったので悲観はしていなかったんですけど、藤井になんて声をかけるのかというところで、誰も何も言わなかったんですけど、央が適当にボールを見つけてきて『これ、ホームランボール』って言って、周りも和んだというか、藤井も救われたと思いますし。そういうことができるのは、やっぱりあいつしかいないのかなと思いますね」

 2023年のオフは泉がトレード、甲斐野が人的補償、その他にも戦力外通告などで、ホークスに9人いた1996年組は5人にまで減った。散り散りになった中でも、各地で新しい一歩を踏み出す球友たち。それぞれが節目となる2024年、どんな姿を見せていきたいのか。

「みんなが、それぞれが活躍できるのが理想ではありますけど、別に活躍する、しない関係なくみんなが健康で頑張ってくれたらそれでいいですし。現役を離れた人もいれば、僕みたいに移籍して別のところで現役を続ける人もいる。それぞれ、役割も変わって立ち位置も変わっているところがあると思いますけど、その中でお互いがお互い、どういう活躍しているのかはチェックすると思いますし、連絡も頻繁に取ると思いますので。みんなで、ホークスの96年っていうコミュニティの価値を上げていけたら」

 みんなが元気なら、それが何より。1996年組で同級生会をする時、お店の予約やタクシーの手配など“マネジャー”として業務を果たしていたのが泉だった。移籍して離れ離れになっても「マネジャーは、言われるがままに(笑)。みんなが集まれるタイミングがあるのなら何かしら、自分ができることはします」と笑いながらマネジャー継続を受け入れる。まずはお互いが結果を残すこと。チームの勝敗をかけた真剣勝負の場で、大切な友達と再会したい。

(竹村岳 / Gaku Takemura)