ライバルが増えることに、明確な危機感を抱いたことは覚えている。また1人、思い入れの強い同級生がチームを去ることになった。ソフトバンクの松本裕樹投手は、甲斐野央投手の西武移籍に「ビックリしました」と率直な思いを語る。ニュースを見て知った一報。同じ“ドラ1”としてホークスに入団した2人は、どんな関係性だったのか。
今オフ、西武から国内FA権を行使した山川穂高内野手を獲得した。発表されたのが12月19日。年が明け、甲斐野の移籍は1月11日に発表された。一部の報道を踏まえて、松本裕も「和田さんで決まるのかと思っていました」と、事態の流れを見守っていた。同級生の移籍にも、隠せなかった驚き。甲斐野央という投手は、どんな存在だったのか。
「同じポジションでやるライバルでもありましたし、切磋琢磨する仲間でもありました」
2019年、甲斐野は1年目から65試合に登板する。今でこそ中継ぎとしての地位を築き上げた松本裕だが、同年は7試合登板に終わった。1軍の晴れ舞台で投げる甲斐野を「モノが違うと思っていました。羨ましいというよりは、単純にすごいなって」と見上げていた。高卒の選手にとって4年目を終えた時のドラフトは、大卒の同級生が入団してくるタイミングでもある。甲斐野をはじめ、ライバルたちが入団してくることには、しっかりと背筋を伸ばしていた。
「その時は、右投げのオーバースローのピッチャーをいっぱい獲っていた年だったので、僕みたいな投手がいっぱい入ってくるなっていう印象でした」
1位の甲斐野に、2位は杉山一樹投手。4位が板東湧梧投手で、6位は泉圭輔投手、7位が奥村政稔投手だった。「同級生が入ってくるタイミングでしたし、似たような、右の上手投げという括りがいっぱい入ってくるなっていうのはありました」と振り返る。6年目の2020年からは毎年、試合数でキャリアハイを更新し続けている。切磋琢磨できる仲間がいるから、自分もここまで成長できた。
松本裕が台頭し始めた2020年、甲斐野はオフに右肘の手術を受ける。1軍に出始めたのは“すれ違う”ような形だった。人的補償で移籍となり、甲斐野は松本裕から「引越しの手伝いとか、できることあったら言ってな」と連絡があったことを明かしていた。「ずっと僕は福岡にいて自由だったので」と、時間にもある程度の余裕があった中で、松本裕からLINEを入れたようだ。
クールで寡黙な印象がある松本裕だが、今では「同級生会がやりたい」と自ら言い出すようになったと、甲斐野も泉も口を揃えていた。2023年、育成も含めると1996年の同級生は9人いた。戦力外に移籍があり、2024年は5人で迎えることになる。自主トレ期間中なだけに「まだ実感がないんですよね。甲斐野にしても、(巨人にトレードの)泉にしても。キャンプでも来るんじゃないかって」と苦笑いする。
「増えたなと思ったら急にいなくなりましたので、まだそんな実感はないです。キャンプが始まったりしたら“いなくなったんだ”って感覚は出てくるのかなって思います」。そう語る表情は、少し寂しそうだった。