忘れられない試合は2022年10月1日の西武戦…藤井が語る“唯一”の鮮明な記憶
「はい、これ……」
失意の底で自責の念にかられていた中でも、この言葉だけはハッキリと覚えている。藤井皓哉投手が、甲斐野央投手から言われた一言だ。すぐに、頭に血が上った。「こいつ、ふざけんなよ」――。
西武から国内FA権を行使した山川穂高内野手を獲得し、その人的補償として甲斐野が指名された。1月11日の出来事。藤井は長崎で、自主トレ中だった。同日はオフで、嘉弥真新也投手や板東湧梧投手と出かけている時に一報を知った。「『あぁ、甲斐野なのか……』と思いました」と驚きとともに受け止めた。「ほぼ絶対に、必ず誰かが行かないといけないルールですし」と、神妙な面持ちで語る。藤井にとって甲斐野には、感謝が尽きない理由がある。
2021年オフ、四国IL高知から育成契約でホークスに入団した。2020年オフに広島を戦力外となり、もう1度目指したNPBの舞台。絶対にチャンスを掴むつもりでいた。2022年の春季キャンプでは、2月16日にB組からA組に合流。朝のウォーミングアップで同じ列となり、声をかけてくれたのが甲斐野だった。そこが初対面で「『同級生だよね?』って感じの話から」と振り返る。投手陣の輪に溶け込めるように動いてくれたから「彼にすごく助けられた部分がありました」と感謝している。
「すごくありがたかったです、右も左もわからない状態でしたから。自分がやるべきことっていうのは何があっても変わらないんですけど、チームの輪に引き込んでくれました。(初対面の時は)野球の話をしました。広島から高知に行って、なぜ良くなったのかっていう話をしたと思います」
印象に残っている甲斐野との思い出に挙げたのは、2022年10月1日の西武戦(ベルーナドーム)だ。リーグ優勝をかけた一戦で藤井は延長11回に登板するも、山川にサヨナラ2ランを浴びた。試合後、チームはスタンドに向かって整列する。バッテリーを組んでいた海野隆司捕手とともに、藤井も人目をはばからずに涙していた。「球場の中でもそばにいてくれたのは甲斐野でした」。グラウンドでの作業を終えて、ロッカーに座ってうつむいていると、甲斐野が隣に座ってきた。ボールを手渡してきて、こう言われた。
「はい、これ。今日のホームランボール」
もちろん、実際のホームランボールはスタンドに消えているだけに「全く関係のない、そこらへんにあったボール」だ。失意の底にいた藤井も「その時は本当に『こいつ、ふざけんなよ』って思いましたけど、今となってはね。彼らしいですし、推測でしかないですけど『そこまで落ち込まなくてもいいんじゃないか』っていうメッセージだったと思います」と苦笑いで言う。ベルーナドームから帰りのバスに乗った1時間半で気持ちを切り替え、ホテルでは藤本博史前監督に翌日の登板を直訴。甲斐野の優しさが、藤井を突き動かした。
痛恨の被弾から1年以上が経っても、覚えている甲斐野の言葉。藤井は千賀滉大投手をはじめ、多くの選手から声をかけられたというが、勝敗の責任を背負って塞ぎ込んでいる瞬間でもあっただけに「いろんなことを言われたと思うんですけど、その記憶って正直あんまりない。あの場で何か言われても、ピッチャーって(耳に)入ってこないんです」と言う。「それでも覚えているんですから、インパクトが……。いろんな意味でインパクトがありますね。一番の思い出っていえば、そうなります」と、甲斐野と過ごした日々を表現した。
2023年10月16日、ロッテとのCS第3戦では3点リードを守れずにサヨナラ負け。津森宥紀投手が同点にされ、大津亮介投手がサヨナラ打を浴びた。試合後もロッテファンの熱狂が球場を包む中で、スタンドに頭を下げる。責任を背負いこむ2人に多くの先輩が寄り添う中で、藤井もその1人だった。1年が経ち、励ます側になったあの日。自分も経験したことだから、気持ちが理解できた。
「声をかけるというか、寄り添ってあげることは大事だと思いました。前の年に僕が経験していることですし、順位とかが決まる場面でそれを経験したので、放っておけなかったというか。1人にするのが良くないと思いました。正直、あまり声はかけていないです。何を言っても入ってこないと思ったので。ただ彼らが切り替えられるように、1人だと考えすぎてしまうと思ったので」
藤井が許した山川の被弾。甲斐野の優しさが、今となってわかる。翌日のロッテ戦(ZOZOマリン)では泉圭輔投手が敗戦投手となった。数々の悔しさを経験したことが、強さとなり、ブルペンに一体感を生み出していた。「常に人のことを心配できるし、寄り添える。甲斐野は特に後輩の選手に対してのそれがすごかった。悩んでいる時も声をかけたりして、そういう姿を見ていました」。藤井皓哉から甲斐野央へ。感謝とリスペクトの言葉だった。
(竹村岳 / Gaku Takemura)