10月28日に球団から増田珠が構想外であることが発表され「僕もビックリ」
ソフトバンクは2日、宮崎県の生目の杜運動公園で秋季キャンプ第1クール初日を迎えた。選手それぞれが課題を持って取り組む中で、正木智也外野手にとっては2度目の秋季キャンプ。ビシッと背筋を伸ばして、キャンプ地に乗り込んだ。「聞いた時は僕もビックリしました」。公私共に関係が深かった増田珠内野手が、戦力外通告を受け、ホークスを去ることになったからだ。
神奈川の慶応高出身の正木と、横浜高出身の増田。同級生として3年間、甲子園をかけて戦った。2年夏の県大会では決勝で対戦。3番を打っていた増田が2本塁打を放ち、聖地への切符を勝ち取った。その2か月後も秋の県大会で、再び決勝でぶつかる。今度は慶応高が勝利するなど、何度もしのぎを削ってきた関係だ。「同じ地区でライバルだったので、お互いに顔は知っていた。なかなかあいつには勝てなかったです」と振り返る。
高卒6年目で増田が受けた戦力外通告。正木は「聞いた時はビックリしましたし、本当ショックで。僕も予想していなかった。まだ一緒に野球ができると思っていたので、悲しかったです」と語る。夜にスマートフォンでSNSを見ていた時に知ったという。プロ野球選手なら誰もが向き合わないといけない現実だが、あまりにも唐突すぎた知らせに驚きは隠せなかった。
正木は今季、開幕スタメンを勝ち取ったものの15試合出場に終わる。打率.038、0本塁打、1打点と厚すぎる壁にぶつかった。高卒と大卒の違いがあるとはいえ、同級生が戦力外になるというプロ野球選手としての厳しい現実を思い知った。「“明日は我が身”というか、そういう気持ちにもなりましたし。たまたま増田だっただけで、僕だったかもしれない」と、痛烈な危機感を抱く出来事だった。
10月27日、増田は宮崎県で行われていた「みやざきフェニックス・リーグ」から帰福。28日に球団を訪れて、来季構想外であることを告げられた。その3日後の31日、正木から誘って増田と食事をしたという。「そういう話(戦力外について)もしましたけど、普通に。珠も珠で気にしている感じも出してこなくて、気も遣っていたんだと思います。なので僕も普通に接していました」と振り返る。
同じく同級生で育成の仲田慶介外野手は、増田が帰福する際に涙を流して別れを告げたという。正木は「僕は泣いていなかったです。目の前で泣くのもあれかなと思ったので、いつも通りに接しました」と照れ笑いする。もちろん涙を見せないことが気遣いでもあっただろうが、正木なりに増田の努力も姿勢も見てきたつもりだった。
「元気っていうのが目立ちますけど、ストイックで練習もすごくして。朝早く来て夜遅くまでやる。練習量も、準備ひとつにしてもすごかったです。そういうのを見て僕も、負けないように頑張ろうと思える存在だった。試合に対する入り方も、学ばないといけないってこともたくさんありましたし。いろんな面で尊敬できる人でした」
関係が深まったのも、増田のおかげだった。「僕は人見知りですけど、珠は話しかけてくるタイプ。それで馬が合うというか、それで仲良かったんだろうなって感じ。仲田もそうですね。仲田も人見知りですけど、珠が話しかけてくれて仲良くなっていった感じです」。グイグイと来るというよりも、リスペクトを持って人の懐に飛び込む。増田なりの絶妙な距離の詰め方で、気づけば大切な球友となっていた。
「ご飯を誘うのも珠からが多かった。サウナ行こう、温泉行こうっていうのは珠から誘われることが多かったので。同級生としての仲を保っていたのも、あいつのおかげかもしれないです」
プロ野球である以上、競争の世界。どれだけ仲が良くても、ポジションを奪い合う競争相手であることはどの時代も同じだ。“明日は我が身”という言葉で受け止めた正木。増田が戦力外通告を受けたことで自分自身は何を学び、抱いた感情をどのようにして表現していくのか。
「あいつの分も……というよりは、珠も野球を続けるだろうし。どこに珠が行っても、お互い刺激しあって行けたらいいと思うので。いいことがあっても悪いことがあっても報告するっていう仲は続くと思うので。あいつの分も、というよりはこれからも変わらずに、チームが変わるだけだと思います」
ホークスでともに活躍することは叶わなくなったが、2人の関係性は何ひとつ変わらない。心からリスペクトする、大切な友達だ。
(竹村岳 / Gaku Takemura)