
南海1年目の加藤伸一氏はキャンプ2軍スタート「先輩投手を見てもあまり…」
鷹フルの連載「鷹を彩った男たち」。“イケメンエース”として活躍した加藤伸一氏の第3回は「初の1軍昇格」です。最初に昇格を告げられた時はまさかの拒否に、意外な初勝利も。「勝ち負けのルールもわかっていなかったんですよ」――。
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社会人野球・KMGホールディングス硬式野球部監督の加藤伸一氏は1983年ドラフト1位で鳥取・倉吉北から南海ホークス入りし、1年目から活躍した。33登板、5勝4敗4セーブ、防御率2.76の成績を残したが、スタートから1軍だったわけではない。2軍教育リーグの初登板では頭部死球を与え、敵軍コーチに怒鳴られ、最初に1軍昇格を告げられた時は「嫌です」と拒んで2軍監督に怒られた。プロ初勝利の時は自分が勝ち投手と思っていなかったという。
倉吉北時代は不祥事続きで公式戦登板がわずか3試合のドラフト1位ルーキー。「最初は2軍キャンプ。近大呉工学部のグラウンドでした。練習はきつかったことはきつかったですけどね。まぁ、その辺は1位だったからよかったのかもしれない。『故障させるな』って、大事に扱われたと思います」と加藤氏は当時を思い起こした。プロのレベルに圧倒されることはなかったという。「弱い南海の2軍。申し訳ないけど、先輩の投手を見てもあまり……」。
高校時代の実戦の少なさから自身の実力を計りかねている部分があったそうだが「ブルペンで投げていると、2軍の監督やコーチの『オー』『オー』という声が聞こえてきて、すごく自信になりました。『いいねぇ、これ、捕りにくいよ』とかね。“俺って結構評価されているやん。ちょっと飯食えそうかなぁ”って思いました」。そんな形で初キャンプを乗り切って2軍の教育リーグで“初登板”となった。
「近鉄戦。覚えていますよ。その試合で(同い年の高卒ルーキーの)村上(隆行内野手)の頭に当てたんです。後に僕はシュートを投げるようになるんですけど、その時は誰からも教わっていなかった。ただ、ひねって投げていたんです。後日、河村(英文)投手コーチにシュートはひねるもんじゃないって怒られましたけど、あの時は、そのひねったボールが当たったんです。そしたら(近鉄の)一塁コーチャーの佐々木恭介さんが僕の方に走ってきて……」
最初の登板で敵軍コーチに突進されて怒鳴られたが、加藤氏は動じなかった。「何か言われたけど“えーっ、まだルーキーだよ”って思った。18のガキのところに走ってきて、こっちは僕を守るために打撃コーチが走ってきたけど、わざと当てるわけないやんって思っていました。村上は佐々木さんがスカウト時代に獲ってきた選手だから愛着があったわけです。そんなのも、こっちは知らないじゃないですか。今だに村上にもこの話をしますよ。『もう、いいよ、その話は』って言われますけどね」。
思わず拒んだ1軍昇格「嫌です。怖い。行きたくない」
その後は2軍でまずまずの結果を出し、シーズン開幕。4月中旬には1軍初昇格が決まった。「僕、断ったんです。(2軍監督の)小池(兼司)さんに『嫌です』と言ったんですよ。まぁ理由は子どもじみていて、キャンプから2軍で1軍の人を知らないでしょ。なんか怖いおっさんばかりがいるイメージがあったんです。で『怖い。行きたくない』って。怒られましたよ。『別にお前な、見学に行くようなものだから』と言われて『わかりました』ってなったんですけどね」。
初めての1軍には、実際、独特なムードを感じたそうだ。「パンチパーマやら、やっぱり怖そうな人ばっかりやんって思いましたよ。ベンチにもよう座らんかった。怖くてずっと立っていました」。岸川勝也外野手ら高卒同期たちは当時、まだ全員2軍。1軍最年少の加藤氏は「グラウンド整備にブルペン整備。当たり前ですけど、ボールを準備し、ロジン、後片付け、全員のクリーニングをクリーニング袋に入れる。もう大変だったです」と苦笑しながら話した。
初登板は1軍昇格から約2週間後の4月30日の西武戦(大阪)。0-3の6回1死二、三塁の場面で先発の畠山準投手が降板し、2番手でマウンドに上がった。「もうド緊張でした」。8番・伊東勤捕手と9番・秋山幸二外野手を抑えてピンチを切り抜けたが無我夢中で、秋山からプロ初奪三振を記録したのもあまり覚えていないそうだ。結果は2回2/3を投げて1安打1失点。小学校時代に憧れた田淵幸一内野手とも対戦して、中飛に打ち取った。
「その試合の映像はテレビ局からもらいました。田淵さんの時は、またさらに緊張しましたね。“ウワー、田淵さんや”って思いましたもん。もう体がフワっとした感じでしたよ。その時の実況の方が『田淵、打ちました、センターへ大きい、センターバックスクリーンに入るか、入るか、ああ、センターフライ。(加藤の)球威が勝りましたぁ』って名口調でね。それも何か残っていますね。そういう思い出があります」
プロ初勝利は5月5日のロッテ戦(大阪)だ。2-4の9回に3番手で投げて1イニングを打者3人で無失点。その裏、南海打線が3点を奪って、逆転サヨナラ勝ちした。「河埜(敬幸)さんがサヨナラ打。こどもの日ですよね。鳥取から両親が見に来ていたんですよ。祭日で親も仕事が休みで招待していたんじゃなかったかな。たまたまね。終わってから両親と写真を撮りました」。これもまた忘れられない日だが、ゲームセットの瞬間は勝利投手と思っていなかったという。
「知らなかったんです。(それで勝ち投手になるという)勝ち負けのルールもわかっていなかったんですよ」。南海・穴吹義雄監督らから勝利の握手を求められても戸惑っていたところ「(担当スカウトの)杉浦(正胤)さんがベンチに入ってきて僕の手を持ってマウンドの方に連れていったんです。で、『こうやって手を上げるんだよ』と言われて『はい、でも何で』と聞いたら『勝ち投手なんだからさ』って」。杉浦スカウトに持たれて左手を突き上げた。そこで初めてプロ初勝利を理解したそうだ。
「今思えばスカウトが入ってきたらアカンと思う。それも時代でしょうね」と笑ったが、この年の高卒ルーキー一番乗りの白星でもあったことには「何の基礎もできてなくて、まだ子どもの体で、高校ではほとんど自主トレでプロに入って、そんなに鍛えてもいないのに5月に勝って、そりゃあ怪我も……」とも。キャンプでは大事に育てられたが、シーズンではこの勝利をきっかけに登板数も増えていく。この先、試練も待ち受ける加藤氏のプロ人生はこうして幕を開けた。
