
2013年オフ…西武から鷹入団の経緯を明かす
鷹フルの新連載「鷹を彩った男たち~ソフトバンクホークス20周年、紡ぐ想い~」。第4回は、デニス・サファテ氏の登場です。NPB通算234セーブを挙げた「キング・オブ・クローザー」。ホークス入団の経緯から、伝説となった日本シリーズでの“3イニング”など、さまざまな角度から右腕の歩みを振り返ります。西武でのプレーを終えた2013年オフ、右腕の脳裏にあったのは現役引退の可能性でした。福岡にやってきた意外な理由とは--。
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日本でのキャリアがスタートしたのは2011年。広島でいきなり35セーブを挙げる活躍を見せた。その前年にサファテ氏は米球界でプレーしたものの、メジャーの舞台で登板することはできず「オリオールズのロースター(マイナー)にいました」という。「私は異なる経験を模索していました」と、必死にチャンスを探していた。
マイナーリーグで過ごしていたある日、日本人のスカウトを目にした。「私は彼に話をしに行ったことを覚えています。巨人のスカウトだったと思います。外国人選手を探していますか?』と聞くと『イエス、だけど打者を探しているんだ』とのことでした」。“売り込み”をかけたが、失敗に終わった。諦めるはずがない。その約1か月後、オリオールズに接触してきたのが広島だった。
「『(日本に)連れて行ってもいいか』、『私と交渉できないか』とカープは尋ねたそうです。シーズン途中の出来事だったと思います。オリオールズはそこで『ノー』と伝えたのですが、私は『日本へ行く機会があるかもしれない』と実感しました。もしかしたらプレーすることになるかもしれない、と。だからシーズン終了後に、球団に自由契約にしてほしいと頼みました。そして、広島と契約したんです」
自らの今後を考えた上で、未知の世界に飛び込む決断をした。「その年の3Aで本当にいい成績を残していたんです。カープのスカウトと会ったことはなかったですが、私の代理人に接触してきて『興味を持っているから来シーズンについて交渉しないか』ということになりました。(外国人投手の)助けを求めていたんだと思います」と具体的に回想した。広島では2年間で104試合に登板。そして、2013年はライオンズブルーのユニホームを着ることになる。
西武を退団したのは32歳…体重が激減したワケ
「2012年に広島でプレーしているときに、怪我をしてしまいました。なので彼らは私と再契約したいと思わなかったのです」。腰部を痛めていたことも要因の1つとなった。2013年、西武では58試合に登板し、防御率1.87。「以前の姿に戻ることができました。面白いことに、ホークスが相手だった時も2回無失点など、いい投球を続けていたのです」。着実に復活の階段を歩んでいたかに思えたが、西武でのキャリアは1年で終わることになった。
大きな理由の1つが、金銭面だった。「すごくいいシーズンを送ったと思います。ただ、ライオンズとしては求めていた活躍を私がしていなかったと。そう感じたように見えました」。2014年もプレーしてもらおうと新しい契約を提示した西武の条件を、サファテ氏側が飲まなかった。当時32歳。現役引退しようとしていたのは、この時だ。
「引退する準備はできていました。(西武と再契約しないとなった時点で)私は野球選手としては終わると思っていたんです。米国に戻ってプレーしたいという思いもなかったですし、ホークスがオファーをしていなかったら、私はただ野球をやめて故郷に戻っていたでしょうね」
広島時代に痛めた腰部はすっかり癒えたものの、全力でシーズンを戦った右腕の体重は7キロほど落ちていたという。パ・リーグ球団ならではの過酷な移動など、違った形でコンディション面に苦労した1年間だった。「球の強さ、フィジカル的な強さも感じてはいたんですけど、とても暑かった記憶がありますね」。現役引退も視野に入れていた裏側で、ホークスとの“赤い糸”がついに結ばれようとしていた。
退団発表からわずか15日…加速した契約合意
2013年12月2日に西武を退団。ホークスとの契約が発表されたのは、同17日のことだった。わずか15日間でのスピード決断。「どの球団とも交渉可能な状態になったんですけど、1週間くらいは誰からも音沙汰がなかったんです。そろそろ終わりかもしれないと思っていたところで、ホークスから連絡があったんだと思います」。福岡への移籍を迷うことなく受け入れられたのは、一緒にプレーしてみたい豪華な面々が揃っていたからだ。
「福岡にやってきて、初年度に成功を収めることができました(2014年にリーグ優勝、日本一を達成)。松田(宣浩)、内川(聖一)、長谷川(勇也)、本多(雄一)、柳田(悠岐)、今宮(健太)もいて『ワォ、これは本当にいいチームだ』と。『このチームなら絶対に負けるはずがない』と思っていました。(西武を退団後に)最終的に少し(オファーを)待つことにして、ホークスからチャンスをもらえて、私は本当に嬉しく思っています。そうしなかったら、この全ては何も現実になっていなかったでしょうから」
ホークスが、もしオファーをしていなければ――。キング・オブ・クローザーが誕生することもなかった。次回は、NPB記録のシーズン54セーブを打ち立てた2017年にフォーカスする。当時の工藤公康監督に、心から謝罪した出来事を赤裸々に振り返った。
【第2回に続く】
サファテがぶちまけた不満、監督室での謝罪…前人未到54Sの裏にあった壮絶な日々
ホークスに移籍して4年目を迎えた2017年。デニス・サファテ氏はシーズン54セーブというNPB新記録を打ち立て、パ・リーグMVPに選ばれた。「成績的には私の中で最高の1年でした」と胸を張る。しかし、グラウンド外では壮絶な日々を送っていた。寝る時間すら惜しんで、米国にいた家族のために連絡を取り続けた。夏場には首脳陣に激怒、そして謝罪――。8年が経った今、数々の舞台裏を打ち明けた。 続きを読む
(竹村岳 / Gaku Takemura)

