4月5日のくふうハヤテ戦で5回無失点
大器の片鱗が、ようやくベールを脱いだ。県内有数の進学校出身。両親のおかげで、勇気を持つことができた。ソフトバンクの井崎燦志郎投手が、2軍戦で先発デビューを果たした。
4月1日、ウエスタン・リーグの中日戦(ナゴヤ球場)で登板した。「投げたら(福岡に)帰ると言われていたので、どこかで先発なのかなと思っていたら『次は2軍』って。チャンスなので、よし! と思いました」。中3日で、5日のくふうハヤテ戦(タマスタ筑後)でまっさらなマウンドに上がった。初球は152キロを計測。その後も、フォークボールを低めに集めながら5回無失点と好投した。
最速は154キロで「真っすぐ、カーブ、フォークが自信を持って投げられます。スライダーは練習中で、球種は多くないです」という。野球を始めたのは、父親の影響だった。中学校3年生の時、みずほPayPayドームの外野席から見た景色が忘れられない。「千賀(滉大)さんが投げていたんです。その時に160キロを投げていて、えぐいなって」。今も手元に残っている映像は、自分自身の目標を高くしてくれた。
青春時代を振り返れば、勉強が頭に浮かぶ。「だいたい、音楽と数学が4で、あとは全部5みたいな」。塾に通っていたのも、自分から両親に頼んだから。中学3年時、福岡中央ボーイズでのプレーを終えると、受験勉強に集中した。「塾の自習室にこもっていました。野球やっている時間より、勉強の方が長かったと思います」という日々だ。のめり込む性格は、テスト勉強でもいかんなく発揮された。
「テストの点数が悪くて泣いてしまったんですよね。自分は、英語が苦手だったんです。めっちゃ勉強したのに70点台で、それで(5教科合計の)450点を逃したんです。英語1つでめっちゃ下がってしまったので、それが悔しくて。中学校はそれくらい(成績にもこだわっているほど)でした。そもそも人数が多い学校じゃなかったので、1回くらい1位を取ってみたいと思って頑張ってみたんです。全然無理だったんですけど、今思うとやばいくらいかけていました」
同級生も京大へ…実力を思い知った高校時代
福岡高は、県内でも上位の進学校。「プロに行けると思っていなかったので、まずは勉強を優先。大学にいけるところで、声がかかったのが福岡高でした。いけるなら偏差値が高いところだと思って」と、野球とは別の道で自分の人生を切り開いていくつもりだった。ところが、高校生活となり、勉学の面でも「上には上がいる」ことを痛感した。
「意外とナメていたというか、偏差値も高いけど、いけるやろと思っていたら、最初400人中、390番とかで。やばいと思いました。最後の方は200番になったんですけど、それでもめっちゃ勉強しましたし。休み時間も勉強していたし、みんな意識が高かったです。野球部の同期でも、2人くらい京大に行ったり」
甲子園出場経験はない。2021年10月11日、ドラフト会議当日を迎えた。育成3位指名を受けたが、慶大や筑波大などへの進学も選択肢にあったため、胸中は複雑だった。翌日に学校へいくと、周囲は心から祝福してくれた。「みんな育成ドラフトとか、どういうことなのかわからないじゃないですか。かかったことだけ『おめでとう』と喜んでくれて、それも申し訳なかったですね。決まっているワケでもないのに……」。純粋な気持ちで、言葉を受け取れずにいた。
ドラフトで育成3位指名も…複雑だった胸中
ここからは、自問自答の日々だ。育成での入団が厳しいスタートになることも理解している。「大学に行った方がいい」という声がほとんどを占めていたそうだ。結論を出すまで1か月ほど悩み、決め手となったのは両親の言葉。何気ない雰囲気の中、答えを導き出してくれた。
「家でお父さんとお母さんがいて、家族会議って堅苦しい感じではないんですけど。『どうしよう』ってずっと迷っていたら、親が『やりたいようにやりなさい。無理ならその後に大学に行けばいい』って。軽い感じで言われたのも、よかったのかもしれないです。(プロに)行ってもいいかと思えました」
学生時代を振り返ると、両親の存在に「あまり縛られたことはなかったので、好きにやらせてもらいました」と心から感謝する。4月12日、山本恵大外野手が支配下登録されたことで、残りは4枠となった。異色の経歴を持つ21歳が、腕っぷしで自分だけの道を切り開いていく。
(竹村岳 / Gaku Takemura)