引退から2年も…忘れぬ工藤監督への感謝「あの日から…」 高橋純平さんが明かす“第2の人生”

工藤公康氏(左)、高橋純平さん【写真:冨田成美】
工藤公康氏(左)、高橋純平さん【写真:冨田成美】

OB戦に志願の出場も3四球…工藤監督に「成長した姿を見せたかった」

 現役引退から2年、久々のみずほPayPayドームのマウンドはほろ苦いものになった。3つの四球を与えて降板。「工藤監督に成長した姿を見せたかったとか、そういうのも色々考えてはいたんですけど……」。2015年のドラフト1位右腕、高橋純平さんは苦笑いする。それでも「もう大満足です」と悔いはない。

 23日に行われたOB戦「SoftBank HAWKS 20th ANNIVERSARY SPECIAL MATCH Supported by 昭和建設」。最年少の27歳で登板した高橋さんは「150キロを投げるので(チームに)入れてください」と、自ら志願しての出場となった。4回2死から登板し、最速147キロをマークして球場をどよめかせたが、制球が定まらず3四球で降板。「『良い球行っていたよ。あとはコントロールだ』とごもっともなことを言っていただいて(笑)」。マウンドを降りると工藤公康元監督が笑顔で出迎え、頭を撫でられた。

 恩人でもある工藤元監督と、もう一度野球がしたかった。「ドラフト会議で『一緒に野球やろう』って言ってくださったあの日から」――。今でも忘れぬ感謝、そして福岡で歩み始めた第2の人生を語った。

 OB戦終了後、熱気がまだ残るグラウンドに高橋さんの姿があった。「オトナだって遊びたい! ホークスOB選手と楽しむ野球体験」の講師として大人を相手に野球指導。球団職員として、アカデミーを中心に平日はスクールで子どもを指導し、土日はイベントで講師を務める。他にも小学校で必修となった「ベースボール型」授業を教えるために小学校訪問なども行なっている。

「野球って楽しいよっていうのを伝えたいです。ただ、その中でまずルールがあって、スキルアップするにあたってなかなか思うように体が動かないとか、パフォーマンスが出ないっていう難しさがあって。そこを難しいと感じて挫折してしまうのではなくて、それをどう楽しさに変換してくれるかで成長って問われると思うので」

工藤公康氏(左)、高橋純平さん【写真:冨田成美】
工藤公康氏(左)、高橋純平さん【写真:冨田成美】

 2015年のドラフト会議。当時、高校生No.1とも言われた高橋さんの交渉権は中日、日本ハムと3球団競合の末、ホークスが獲得した。2014年オフに就任した工藤元監督にとっても初のドラフト会議。当たりクジを左手で高々と掲げた。「あの日から僕のプロ野球人生はスタートした」。2019年に45試合に登板し、防御率2.65をマークしたが、以降は度重なる怪我に苦しんだ。2023年には2年連続で1軍登板がなく、戦力外通告。トライアウトを受験したがNPBからのオファーはなく、現役引退を決めた。

 期待された成績を残したとは言い難いかもしれない。それでも、工藤元監督が温かく見守ってくれたホークスでの8年間は、他のどの思い出にも代え難い宝物だ。「勝手に福岡にいる第2のお父さんのような気持ちでいました。監督も1年目のドラフトということで、とても気にかけてくださっていたので。だからこそ、黒鷹軍に対しての思いはすごく強かったです」。

 引退して2年。子どもたちを教える時間は、野球の基礎を再確認する時間になった。「こういった球が行っている時ってどうしてあげたらいいんだろうとか。自分が現役生活で本当に悩んで悩んで。結局、出口がなかったこともあったんですけど。それを紐解いてるような認識が結構強くて」。全力で投げたい、マウンドに立ちたいという気持ちは今でも強い。

 プロ野球人生は幕を閉じた。それでも、野球人としての人生はまだ始まったばかり。「僕自身プレッシャーに打ち負けたので、まだまだ成長段階です」。工藤元監督、そして選んでくれたホークスへの感謝を胸に。新たな1歩を踏み出している。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)