王貞治が変えた野球人生「もっと早く引退していた」 多村仁志が忘れぬ“突然の電話”

多村仁志氏【写真:冨田成美】
多村仁志氏【写真:冨田成美】

鷹フルの単独インタビュー…今も王貞治会長には「感謝しかない」

 ソフトバンクのOB戦「SoftBank HAWKS 20th ANNIVERSARY SPECIAL MATCH Supported by 昭和建設」が23日、みずほPayPayドームで行われた。鷹フルは、多村仁志さんに単独インタビュー。トレード移籍にFA残留、現役時代の秘話を明かした。「ホークスに来ていなかったら、もっと早く引退していた」。福岡で過ごした6年間は、自分自身を変えてくれたという。心から感謝しているのが、王貞治球団会長の存在だ。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 背番号6のユニホーム。久々に袖を通し「リーグ優勝や日本一に、歴史の中で貢献できたことは非常に嬉しいですし。一緒に戦ったメンバーと、またこうやってプレーできるのは、至福の時間ですよね」と懐かしむ。通算1162安打、195本塁打を放ったスタイルは、今も健在だ。

 現在の主な職業は、解説業。「メジャーリーグに、古巣だったベイスターズ、ホークス、ドラゴンズと。日米の解説をしている感じです」と近況を明かす。自身のプロキャリアは全てNPBで、MLBとの繋がりについても「僕はもともと、野球を始めたのもメジャーがきっかけだったんです。解説のお仕事をいただいてから今年で9年目になります」。2006年に出場した第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では世界一も経験した。豊富な知識を生かしながら、第2の人生を歩んでいるところだ。

 横浜高から1994年ドラフト4位で現在のDeNAに入団した。3年目に手術した右肩には、今もボルトが入っているという。初めて規定打席に到達したのは、10年目の2004年。打率.305、40本塁打、100打点をクリア。大型外野手として、その名を広げた。ホークスへの移籍が発表されたのは、2006年12月5日。寺原隼人投手とのトレードだった。当時のことを「今も覚えています」と振り返る。

「球団に呼ばれて、ホテルでそういう話をいただきました。その時は落ち込む気持ちもありましたけど、当時の王監督から電話がありまして『この縁を大事にしよう』という話をいただいて、それで気持ちはホークスになりました。王監督を胴上げしたい気持ちでこちらにきましたし」

 第1回のWBCで王会長とは「監督と選手」という形で、世界一に貢献した。しかし当然、電話番号など知っているはずがない。「知らない番号だったから、最初は出なかったんですよ。留守電に『王だけど』っていうのが入っていたので、すぐにかけ直しましたね。背筋が伸びましたよ」。いきなりの移籍に戸惑ったが、すぐに覚悟は決まった。福岡には単身で引越し。「食事にも連れて行ってくださって、そういうところを大事にされる方でした。本当に王会長には感謝しかない」と頭を下げる。

「王会長のもと、最初のチーム(WBC)で世界一になれた。胴上げできたのは本当によかったですし、次の年にまたホークスで同じユニホームを着て、プレーができたのは非常に嬉しかったです。日本の宝である王会長のもとでプレーができるのは、限られた人しかいない中で、(トレードで)選んでいただいた。王会長が監督の時に優勝には貢献できなかったですけど、秋山さんの時に日本一になれたので、少しは恩返しができたのかなと」

 2010年、多村さんは140試合に出場して打率.324、27本塁打、89打点の活躍でベストナインに輝く。そして11月15日、FA権の行使が発表された。手に入れた権利で、移籍を視野にキャリアについて考える日々。再び覚悟を決めたのが、5日後の20日だ。福岡市内で行われた優勝パレードに参加すると、なんと王会長と同じ車に乗ることになった。

「優勝パレードの後、ですね。王さんとファンの方を見ながら話をしていて、『来年もよろしくね』と言われました。リーグ優勝はしましたけど、日本一をしていなかったので、僕も経験してみたかったし、ホークスを日本一にしたい気持ちもあったので、そういう気持ちで残ったという感じでしたね」

OB戦に出場した多村仁志氏【写真:冨田成美】
OB戦に出場した多村仁志氏【写真:冨田成美】

 2010年はリーグ優勝しながらも、クライマックス・シリーズのファイナルステージでロッテに3勝4敗。日本シリーズの舞台に立つことはできなかった。FA権を行使し、多村さんの揺れ動く胸中は王会長も当然知っていただろう。「来年もよろしくね」という一言で、心を射止めた。「こちらに来た時(トレード)もそうですし、気持ちを変えてくれる方ですよね」。翌2011年、悲願の日本一を達成した。

 2016年、中日で現役を引退。福岡で過ごしたのは6年間だった。「僕はホークスに来ていなかったら、もっと早く引退していたと思います」という。小久保裕紀監督をはじめ、多くのレジェンドとチームメートになった。圧倒的な練習量が、自分に与えた影響は大きかった。

「当時(2007年)、小久保さんもジャイアンツからきて、松中(信彦)さんがいて、ムネ(川崎宗則)とか、みんな本当に練習量が多かった。そういうところに最初は、驚いたのはあったんです。自分のセンスだけでやっていたのがあったので、強いチームっていうのはここまで練習するんだって。そこでまた体を鍛え直したことで、その後も10年くらいできましたからね。あとは常に勝たないといけない。常勝軍団の気持ちの持ち方。140試合とかでしたけど、その中でも全て勝つという気持ちで挑む大切さを学びました」

 今も色濃く残っているチームの伝統。「ファンの方が喜ぶ姿を見るために、一生懸命にね。手を抜いたプレーを見せない。それが1つだと思います。1球1球、全力プレーを見せたいという気持ちでやっていました」。王会長が授けてくれた“縁”のおかげで、こんなにも成長できた。過去を振り返る多村さんの表情は、嬉しさと誇らしさに満ちていた。

(竹村岳 / Gaku Takemura)