“綺麗な長谷川”が記者にお願い「書いてください」 新年初取材も疲労困憊のワケ

長谷川威展【写真:竹村岳】
長谷川威展【写真:竹村岳】

日本ハムの宮西尚生との自主トレ…忘れられない初対面「めっちゃ怖い人」

 厳しかった“修行”を乗り越え、口数は驚くほど少なくなっていた。「雑念は何もない“綺麗な長谷川”だった」。ソフトバンクの長谷川威展投手が24日、兵庫・芦屋市での自主トレを打ち上げてファーム施設「HAWKS ベースボールパーク筑後」を訪れた。日本ハム・宮西尚生投手との自主トレを振り返ると、走った記憶しかなかった。

 2021年ドラフトで6位指名を受けて金沢学院大から日本ハムに入団し、2023年オフに行われた現役ドラフトで、ホークスに移籍。昨シーズンは32試合に登板して4勝0敗、防御率2.49の成績を残した。同じ左腕、宮西との自主トレは3年連続3回目。ルーキーイヤーを終えて、初めてお願いした時を振り返ると「怖かった」という記憶が真っ先に出てくる。

「大学の頃からフォームも見ていましたし、左のサイドスローで、14年連続で50試合登板ってものすごいじゃないですか。そんな人に教わりたいなと思って、1年目のオフに北海道で『お願いします』と。雰囲気めっちゃ怖い人なので、ビビりましたね。優しい人なんですけど、その時はほぼ話したこともなかったですし、直立不動でした。練習も、ちゃんと自分で追い込む方なので」

 自主トレは1月4日からスタートした。基本的には4勤1休。午前7時30分に起床し、9時から施設での練習が始まる。「まずは1時間くらい歩くんですけど、結構速いペースです。そこからが1日のメインで、ランニングです。走るのをどう乗り越えるかという感じでした。あとはキャッチボールして、ウエートをしていたら(午後)4時みたいなスケジュール」。宮西は今年6月に40歳を迎える。鉄腕を支えてきた練習量は健在で、息を切らしながら大先輩に必死についていった。

「毎日がキツくて、何がどうとかもないんですよね。1年の中で、あんなに“無”になれるというか。過去とか未来とか考えず、ただひたすら走れるのは1月だけだと思いますね。そういう意味では、修行に近いというか……」

 使用した施設は、球場ではなく競技場。トラックがあるから「距離もしっかりわかるんですよね。例えば、200メートルのタイム走なら、本数は12本。それもまあキツいんですよ、レスト(休憩)も短いので」という。ランニングメニューは1種類だけではない。「800メートルをやる日もあれば、400メートルの時もあるんですけど、その後も普通に5キロ走るとか。タイムを切れなかったら本数も追加されますし」。妥協を許さない日々が続いた。

 宮西とのトレーニングは初めてではない。キツい自主トレだということは、前々からわかっていた。昨年12月にはハワイの優勝旅行に参加した長谷川だが「ソワソワしていましたよ。『休んでいて大丈夫かな』って思っていましたし、だからホテルのジムでトレーニングもしました」。旅先でも野球を忘れることはなかった。年末年始も、体を休めたのは12月31日だけ。2025年も結果を残すために宮西に頭を下げたが、そんな目的すら忘れてしまうほど、キツい思い出だけが胸に刻まれている。

 日本ハムの堀瑞輝投手、山本晃大投手を合わせた計4人で自主トレは行われた。宿泊は、マンスリーマンションを借り「間取りは1Kの部屋で、山本と2人で過ごしていました」という共同生活だった。長谷川と同学年の山本は大らかな人柄だといい、家事のほとんどを務めてくれた。「僕の“係”ですか? 寝て起きてっていう……。自分のことをしていました」と笑って振り返る。休日には4人で淡路島に行くなど、メリハリをつけながら鍛錬の日々を送った。

 いつもなら、聞いたことにスラスラと答えてくれる左腕。しかし、この日は「もうちょっと話せることあったと思うんだけどな……」と歯切れが悪い様子だった。自主トレ期間のテーマについても「なんだろ、すみません。芯のない人間で……」と苦笑いする。“修行”を乗り越えて、体は今も筋肉痛でパンパンだ。

 記者には「こうやって書いておいてください」とお願いも。「疲労困憊で『いつもの長谷川じゃなかった』『ひたすら走り終えて、雑念は何もない“綺麗な長谷川”だった』って。今年もよろしくお願いします」。2025年初の取材対応、表情は晴れ渡っていた。大先輩との修行を乗り越えたのだから、これから始まる競争でもきっと勝ち抜いていける。

(竹村岳 / Gaku Takemura)