川瀬晃が忘れられない弟のドラフト指名…「僕は悔しかった」
ハードな練習を行う中で、兄弟にしか出せない雰囲気がそこにはあった。川瀬晃内野手は今オフ、オリックスの川瀬堅斗投手とともに地元の大分県で自主トレを行なっている。「明らかに昔よりは球は速いです」と、弟の成長に刺激を受けながら2人で汗を流している。
昨年の9月13日オリックス戦(京セラドーム)。1軍では初めてとなる「川瀬兄弟」の対決に球場は盛り上がった。結果は、直球に詰まらされての二ゴロ。試合後には「夢のような時間っていうのはこういうものなのかなと思いながら、打席に立っていました」と兄は感慨深そうに振り返った。結果以上に、そして周囲が思う以上にこの対決は特別な1打席だった。
5つの歳の差がある弟。誰よりも1軍の舞台での対決を待ち侘びていた。「弟は甲子園にも出ていたし、高校時代から結構名前が上がっていたんですよね。僕より全然有名だった」。そんな弟が支配下ではなく、育成で指名されたことに「悔しかった」とこぼした本音。「ずっと渡したいと思っていた」。支配下選手登録のお祝いに贈ったプレゼントと、その意味を明かした。
「僕は外で知り合いの方とご飯を食べていました。その方も堅斗のことを知ってくれていたので、みんなで携帯を横にしてドラフト会議を見ていましたね。支配下で行けるかもっていう話もずっと聞いていたので、僕は弟が育成だったのが悔しかったんです。支配下じゃなくて悔しかった。『プロに入れた。やったー』ではなかったですね」
育成選手としてスタートを切ることになった弟に抱いた正直な感情は“不安”だった。牧原大成内野手や甲斐拓也捕手ら、“育成の星”と呼ばれる選手を何人も輩出してきたホークスではあるが、それはほんの一握り。血の入れ替えが激しく、厳しい競争の中で戦ってきたからこそ、兄としての純粋な思いだった。
堅斗が支配下選手に登録されたのは、プロ4年目の昨年7月30日だった。「僕が手助けしたわけでもないですし。オリックスもやっぱりピッチャーがすごいチームだし、本当に恵まれた環境で弟もやれたと思うんですけど。いろんな人に感謝するべきだなと思います」。弟の努力を誰よりも認めた川瀬にとっては、密かに抱き続けていた“夢”が叶った瞬間でもあった。
「弟が支配下になった時に、時計をプレゼントしたいなってずっと考えていたんです。それが現実になった時は感動しましたね。心待ちにしていたので。育成ももちろんプロなんですけど、本当の意味で2人にとって“プロとしての1秒目”がスタートしたということ。兄弟でこの時間をたくさん刻み続けられたらいいですよね」
たくさんのメッセージを込めて贈った時計だった。幼い頃に楽しんでいたサッカーやゲームでは、弟の機嫌を損ねないように“負けてあげていた”と嬉しそうに明かした。そんな2人が同じグラウンドで野球をするのは、小学生時代にまでさかのぼる。
「僕が1年生で、お兄ちゃんが6年生の時以来ですかね。あんな形で野球をやれたのは」と堅斗は頬を緩ませる。同じ少年野球チームに所属していたこともあり、“真剣勝負”をすることはプロに入るまでなかったという。
「お兄ちゃんがプロに行って、僕も……っていう思いが強くなりました。今もそうですけど、お兄ちゃんが活躍すればするほど憧れも強くなるし、僕も追いつかないといけないと思っています。そういう意味で尊敬していますね」。兄から刺激をもらいながらも、同じ舞台が近づいていくにつれて、幼い頃から抱いてきた憧れがより強くなっていった。そんな中で巡ってきた昨年の兄弟対決だった。
「両親からは『複雑だよ』って言われました。5人兄弟なので、お兄ちゃんたちも『複雑やわ』って。でも、こんな思いができるのも川瀬家だけだしねっていう会話もしました。まだ足りない部分はありますけど、1つの恩返しとして2人の対決を見せられたっていうのが……。頑張ってきてよかったなと思いました」。喧嘩をした記憶がないほど仲が良かった兄と一緒に、大阪まで観戦に来てくれた家族の前で親孝行できたことが、堅斗は何よりも嬉しかった。
今季以降も2人の対戦は続いていく。自主トレではダッシュひとつにしても、常に競い合う兄弟の姿があった。同じ時を刻みたい――。贈った時計に込めた兄の願い。1秒でも長い時間を過ごして欲しい。
(飯田航平 / Kohei Iida)