本格的な投手転向からわずか2年で甲子園V…「ツイてるな」
2024年ドラフトでは支配下選手6人がホークスに加わりました。鷹フルでは将来を担うルーキーズを全6回にわたって紹介します。最終回となる第6弾は、履正社高、東洋大を経てドラフト6位で入団した岩崎峻典投手です。本格的な投手転向からわずか2年で甲子園胴上げ投手となった右腕。“金看板”は大きなプレッシャーとして右腕を苦しめていました。
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誰もがうらやむ“シンデレラストーリー”だった。元号が平成から令和に変わり、初めて行われた2019年夏の甲子園。決勝戦の7回途中からマウンドに上がり、見事に最後を締めくくったのが、履正社高2年の岩崎だった。「令和初の胴上げ投手」となった右腕。中学3年時から本格的に投手を始め、わずか2年での“快挙”が、この先の「足かせ」になるとは誰も想像していなかった。
「マウンドで何を考えていたのか、全く記憶にないです。いろんな人からお祝いされて、やっと実感が湧くみたいな……。別に自分がそんなことをできる選手だと全然思っていなかったので。周りの野手に助けてもらってばかりだったし、本当に『ツイてるな』って感じでしたね」
全国屈指の強豪・履正社高に進学した当初、感じたのは“挫折”だった。「自分が1番下やなって。当時の僕は身長が170センチあるかないかでしたけど、周りには190センチ近い人もいたので。『これじゃ駄目やな』って。こういうやつらに勝っていかないと、投げられないんだなと」。1年の秋からベンチ入りを果たしたが、自らの力を過信することはなかった。
高校3年になって衝撃を受けた出来事もあった。ホークスでチームメートとなった同学年・田上奏大投手の存在だ。2年までは野手としてプレーしていた田上が3年になって投手に転向すると、いきなり150キロを超えるボールを投げ込んだ。当時、岩崎の最速は148キロ。思わず苦笑いが浮かんだ。
「あいつは強烈でしたよ。野手でレギュラーまで張っていたやつが急にピッチャーをやって、あんな速い球を投げられたら……。僕ら、やる気なくしますよ。『なんやねん』みたいな。投手として全然負けへんという思いはありましたけど、自分の真っすぐに自信はなかったですね」
“甲子園胴上げ投手”として進んだ東洋大では、入学直後からリーグ戦での登板機会に恵まれた。それでも、岩崎の心中は穏やかではなかった。「一応、甲子園優勝っていう結果を残してしまったので。やっぱり注目されるじゃないですか。それもあって使ってもらった部分もあったと思うんですけど、冷静に実力を見れば、全然足りなかったと思います」。
周囲の期待と、自身の力量とのギャップ。背負ったものの重さを痛感した。「期待に応えなきゃいけないという気持ちが先走って……。周りがイメージしているところに自分がいかなきゃいけないというか。でも現実はやっぱり違いましたよね」。
1年春の東都大学野球リーグでは3試合に登板して防御率9.00。主戦として投げていたわけではなかったが、マウンドに上がった試合はすべてチームが敗戦。東洋大は2部に降格した。「僕のせいです。投げたらことごとく打たれていたので。責任はあります。今振り返れば、結構きつい時期でしたね」。態度に出すことはなかったが、1人もがいていた。
苦悩の日々を乗り越え、たくましく成長した右腕。2024年ドラフトでホークスが指名した支配下選手ではラストとなる6位での入団となったが、右腕の目は輝いている。「ある意味で挫折には慣れているので。高校も、大学も1番下から這い上がってきたのが自分。プロでもやることは変わらないです」。令和初の甲子園胴上げ投手という肩書が色あせるほどの活躍を誓った。
(長濱幸治 / Kouji Nagahama)