契約金から出した引っ越し費用…「もっと恩返ししていきたい」
2024年ドラフトでは支配下選手6人がホークスに加わりました。鷹フルでは将来を担うルーキーズを全6回にわたって紹介します。第3回は福岡・久留米商高、岩手・富士大を経てドラフト3位で入団した安德駿投手です。高校まではほぼ無名だった右腕をプロに導いたのは、母から“最後のプレゼント”としてもらった7年物の「勝負グラブ」でした。
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高校入学時に母の文子さんからもらったグラブは、7年たった今も“現役”だ。大学4年時にスポンサーが付き、新しいグラブを提供してもらった。それでも大事な試合やプロのスカウトが視察に訪れた際など、ここぞの勝負時には馴染みある「相棒」を手に取った。「ゲン担ぎじゃないですけど、自分の力を出せるような感覚があるんですよね」。中学2年で両親が離婚。女手一つで育ててくれた文子さんの愛情が、右腕に勇気を与えていた。
3きょうだいの長男として、文子さんが懸命に働く姿を目に焼き付けていた。「子どもが3人いれば、共働きだったとしても裕福な生活をするのって難しいと思うんですけど。お母さんはずっと1人で育ててくれて。妹と弟もスポーツをやっていたから、普段の生活以外の面でもお金がかかったりしていたので。その点で何不自由なく生活させてくれたっていうのは、感謝しかないですね」。
文子さんからグラブを買ってもらったのは小学校、中学、高校にそれぞれ入学するタイミングでの3回。大学に進んだ後も高校で使っていたものを持って行った。「お母さんには『まだ全然使えるよ』って言って。最後に買ってもらったものだったので」。地元の福岡から縁もゆかりもない岩手での生活。1年のころには軽いホームシックになったが、左手のグラブを見て、自らを奮い立たせていた。
文子さんの記憶に残っているのは、自宅の玄関に丁寧に置かれていたグラブだった。「『手入れしなさい』なんてほとんど言った記憶はなかったですけど。いつもきれいに磨いて、クリームも塗って。それが普通だと思っていたんですけど、下の弟が野球バックからグラブも出さずにほったらかしにしていたのを見て、改めて道具を大切に使ってくれているんだなと感じました」。
野球に対して真摯に向き合った結果、大学入学後に成長曲線は一気に上がった。高校では最速136キロだった右腕。YouTubeで自身の投球動画を見た富士大の安田慎太郎監督から誘いを受けて進学したが、当初の目標は「140キロを投げられればいいな」といったものでしかなかった。
「大学での練習が自分に合ったんだと思います」。1年生で140キロ、2年生で145キロと球速はみるみると上がり、3年で150キロに到達した。「神宮での試合で三振を取った時に150キロが出たんですけど。スタンドがうわーって湧いて、『えっ』と思って。テレビの中継もあったので、ニヤニヤするのはなるべく抑えて……。すました感じでいましたけど、内心は『よっしゃー!』って感じでしたね」。大学4年間で最終的には最速152キロをマーク。一気にドラフト候補に躍り出た。
遠方で行われる試合や、毎春行われる沖縄キャンプの旅費は文子さんが出してきた。安德が岩手から福岡へ帰省する際は、なるべく早いタイミングで格安の航空券を購入。「大変でしたけど、頑張りました。普段は色々としてあげれないので。せっかく野球で遠いところに行って、頑張っているから。そこでつまずかせたくなかったですね」。母の思いが結実したプロ入りだった。
安德は自らの契約金で母と妹が住む家の引っ越し費用を出した。「母子家庭で寂しいなんて思ったことは一度もないです。自慢のお母さんなので。これからもっと恩返しをしていきたいですね」。小さいころからホークスの試合を観戦に訪れたみずほPayPayドーム。文子さんが見守る中で、自らがマウンドに立つ――。そんな光景を何度だって見せたい。
(長濱幸治 / Kouji Nagahama)