ホークス3年目の今季は40試合に登板して2勝1敗1セーブ、19ホールドを記録した。開幕直後は苦しんだものの、防御率1.80と安定感も残した。シーズンが終わり、腰の状態はどれほど厳しいものだったのか。藤井から「今だから明かすというか……」と、静かに切り出した。
「シーズン中もずっと(痛みが)あって、歩くのも綺麗に歩けなくて、練習で走ることもできなかった。人に見せられるようなキャッチボールではなかったし、試合前のブルペンもひどかったです。その中でやっていたのは、ありました」
限界を迎えたのは登録抹消される前日、8月31日のロッテ戦(ZOZOマリン)だった。「ブルペンで、このままいって勝負できるかと考えた時に、難しいと思った」と、自ら首脳陣に現状を打ち明けた。8月は9試合に登板し、自責0と結果も残していたが……。「ずっと痛い状況で、“その日暮らし”と感じでやっていました。抑えてはいましたけど、スピードも出ていないし、いい時に比べれば数字が落ちる部分はあったので。8月はその日、その日という感じでした」と続けて話した。
9月からリハビリ組に移行し、復帰を目指した。10月16日から日本ハムとクライマックス・シリーズのファイナルステージを戦うことが決まっていた。短期決戦で戦力になろうとしたが「傾斜に入った時は、休む期間を設けずに強引にいったので再発したのはありました。できるなら投げたいという思いでやっていたんですけど、難しかった。そこで断念して、来年に向けてやっていこうと切り替えました」。チームのためにという思いが、裏目に出てしまった。藤井の2024年の戦いが終わった瞬間だった。
2023年も左脇腹を痛めて、1か月半の離脱を味わった。1度、戦線を離れ、復帰を目指す苦しい気持ちは経験している。「8月にやめた(リハビリ組に移行した)として、じゃあシーズン中に戻って来られるかまだわからなかった」と、葛藤を口にした。当然、1軍で投げ続けたのは、首脳陣も戦力として必要としていたからこそ。「トレーナーさん、監督コーチに『行けるところまで行きます』、『倒れる覚悟で行きます』と話をして、やらせてもらっていたので」。今だから明かせる覚悟と舞台裏だった。
交渉の場で球団に伝えたのは、中継ぎ査定の見直しだ。「50試合のハードルが少し高くなってきている。そこを検討していただけないかという話をさせていただきました。現場(首脳陣)が投げさせすぎないようにというのも感じていたので。その辺が少し変わってきているんじゃないですかと」。首脳陣が体調を気遣ってくれる一方で、登板数を重ねないと、昇給を勝ち取れない。自分自身のため、家族のためにもマウンドを離れられない思いがあったのは、間違いなかった。
今もキャッチボールはできているというが「傾斜にまだ入っていないです。そこになった時に再発するか、しないかなので」。オフシーズンだからこそ、焦りは禁物。「10月のCSに向けて(復帰を)チャレンジした時に再発したので、そこ(傾斜での投球)まで行かないと正直、どうなるかわからないです。今はトレーニング含めて色々とやっているところなので、リスクは前よりは少ないと思います」と一歩ずつ回復しようとしているところだ。
「怪我さえしなければ、勝負できる自信はあります」。いつも口数は多くない藤井が、胸を張ってこう言った。小久保裕紀監督も、中継ぎとして期待する6人に名前を挙げていた。2025年こそ万全の状態で、笑ってオフを迎えたい。