鷹フルは、周東佑京内野手の単独インタビューを行いました。レギュラーシーズンの手ごたえ、左膝の痛み、母の存在、家族の支え――。多岐に渡るテーマについて、全4回を4日連続で掲載します。第1回のテーマは「日本シリーズ」について。DeNAに2勝4敗で敗れ、日本一を逃した頂上決戦。選手会長の目線から見ても、必要だったのは“4連勝”だったと言います。チームの雰囲気を、どのように感じていたのでしょうか?
選手会長に就任して1年目。「優勝しかない」と誓い、2024年を迎えた。パ・リーグの頂点に立ち、自身も初の規定打席に到達。123試合に出場して115安打、打率.269、2本、26打点の成績を残した。41盗塁は2年連続3度目のタイトルと、飛躍のシーズンになったことは間違いない。
クライマックス・シリーズも勝ち抜き、日本シリーズの舞台にたどり着いた。幸先よく連勝したものの、そこからまさかの4連敗で終戦した。最長でも7試合で決着がつく短期決戦。たった1つのプレーで流れが変わってしまうのが特徴でもある。周東は6試合を振り返り、率直な思いを口にした。
「結果的に見れば、僕らが4勝0敗で終わらせられなければ勝てなかったシリーズだったと思います」
DeNAの勢いを感じ、跳ね返そうともした。だからこそ「4勝0敗」を目指さないといけなかった。自身は全6試合に出場して23打数6安打。「前回(2020年)に比べて緊張はしなかったです。空回りすることもなかったですし、頭を整理できてはいましたけど、相手が強かったのかなと思います。一番はそこです」と結果を受け止めていた。2勝0敗からタイにされ、一気に押し切られた。チーム内の雰囲気を、こう代弁する。
「いつも通りというか、シーズンと変わらないようにやろうとしていましたし、そういう形でできていたのかなとも思いますけど。何ていうんですかね……。チーム内はそんなにヤバいって雰囲気でもなかったです。1人1人が、本当にどうにかしようとやっていたのが、よくない方向に行ったのかな。それだけだと思います」
11月9日には球団から「左膝蓋靭帯に対する超音波腱剥離術」を受けたことが発表された。9月28日の日本ハム戦(エスコンフィールド)でも途中交代するなど、終盤戦の体は満身創痍だった。「日本シリーズもキツかったですよ。(第1戦で)自打球が当たった時に『終わったかな』っていうのもありました。キツかったですけど、最後だし……、と思いながらやっていました」。左膝に対して違和感を覚えていたのは、実は3月から。グラウンドに立ち続けたのは、周東の“強い意思”に他ならない。
「選手会長っていうのもありましたし、今年に関しては1つのポジションでしっかり出られていたので、その時期に(掴みかけた定位置を)手放したくなかった。来年に向けてというところでもありますし、簡単に穴を空けたくなかったのが一番です」
今季守備に就いたポジションは中堅だけ。首脳陣は打てなくなったから代えるのではなく、体調面に配慮しつつ、スタメンを託し続けてくれた。「(奈良原浩)ヘッドにもずっと、『目先で終わりじゃない。勝負どころの9月、10月、日本シリーズまでいてほしい』と言ってもらいながらシーズンをやっていたので。信頼してもらっているかはわからないですけど、こんな状況でも戦力として見てもらっているなとは思っていました」。日々のプレーに全力を尽くすのはもちろん、ある程度の“先”を見据えていたから、離脱なくシーズンを終えた。首脳陣からの信頼があったから、貫けたことだ。
「出してもらっている感もありましたけどね。ヘッドから言われることがすごく多かったです。僕を『一人前の選手、一人前の1番バッターに育てられなかったら、こっちの責任だから』と。自分も自覚を持ちながらも、『僕の責任なのにな』とは思っていましたけどね。そういう声をかけてもらっていたから、やらないといけない気持ちもありました」
パ・リーグを制して栄光を手に入れた一方で、日本シリーズでは敗れてもなお得るものがあった。選手会長としての自覚を胸に、最後まで走り切った。