近藤健介の“後ろ”に立つ重圧…打てなくても注目 正木智也が“ピリピリ”したドームの帰路

ソフトバンク・正木智也【写真:栗木一考】
ソフトバンク・正木智也【写真:栗木一考】

鷹フルの単独インタビュー…最終回のテーマは「注目度」

 鷹フルがお送りする正木智也外野手の単独インタビュー。最終回のテーマは、これまで感じることのなかった「注目度」について。思わず「取材を受けたくない」と笑って振り返った瞬間とは? 先輩たちにはあって、今の自分にはない「余裕」についても、赤裸々に語りました。

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 今季は80試合に出場して打率.270、7本塁打、29打点と、軒並みキャリアハイの数字をマークした。6月21日に1軍昇格して以降は、6番打者に定着。リーグ優勝にも大きく貢献した。「8月くらいまでは(打率)3割をキープしていたんですけど、そこから落ちてしまった。悔しい気持ちはありますし、まだまだいけたという気持ちと、このままじゃ来シーズンは今年の最後みたいに通用しなくなると感じたので。もっともっとバッティングを知って、突き詰めていけたらと思います」。自分自身の成績について当然、満足はしていない。

 昨シーズンは開幕スタメンを託されたものの、18打数無安打で2軍降格となった。今季は「打ちたい」という欲を上手く制御し、自分自身の変化も感じ取った。「去年までは『1軍で打つために2軍でどういう取り組みをして』っていうのをずっと考えていましたけど、そもそも去年は自分の型が定まっていなかった。『こうしよう、ああしよう、打席でこういうふうに考えたらいいのかな』って感じで、打席に入っていたんです」と明かす。投手と対戦する前に、自分が勝負できる形を作らないといけなかった。3年目でそれに気付くことができた。

「今年は1個レベルが上がって、自分の型はできているから、『ここは打てない、ここは打てる、打てるところだけを待とう』とか考えられるようになりました。1軍と2軍では生活リズムも違います。1軍でやっている人の過ごし方を見て、午前中に早く来てウエートをする人もいれば、試合後に打っている人もいる。すぐ帰る人もいるし、そういうのを見たりしたことが来年に繋がるというか。いい意味で1軍に慣れたというか、考えることのレベルが上がった感じですね」

 1軍なら平日はナイター、週末がデーゲームというサイクルが基本的。ファームだとほとんどがデーゲームで、起床時間も早くなるなど、生活リズムはまるで違う。長期間、1軍にいたことで様々なことに慣れた。今季の成績にも繋がっていたはずだ。

「注目」という点でも、変化は感じ取っていた。「取材も増えましたし、SNSで自分の名前を見ることも増えたので。それは嬉しいんです」。多くのインタビューに応じ、考えを口にした。スタンドで自分のタオルを掲げるファンの姿も、たくさん目に入った。「シーズン中は自分のことでいっぱいいっぱいで、気にしていられる余裕もなかった。ずっと『明日どう打とう』で、いつも自分のバッティングに集中していたので。1年中、今年は野球のことを考えていました」。とにかく必死だった。だからこそ、ファンは応援したくなった。

 今季は主に6番打者を任された。近藤健介外野手の“後ろ”で「あの人、2回に1回くらいは塁にいた」と重圧もかかる打順だった。ヒーローになるチャンスも多い分、裏を返せば、“戦犯”になってしまう可能性もある。インタビューが増えた分だけ、凡退し「打てない」ことも注目された1年だった。欠かせない存在になり始めている何よりもの証だが、不甲斐ない結果に終わった試合後、ピリピリとした雰囲気で帰っていく正木の姿が印象的だった。

「だって、打てなかった時に取材受けたくないですもん(笑)。ハハハ!」と、ある程度は意図的に空気を出していたと明かす。選手としては抱いて当然とも言える感情で、「実力不足としか言えないですからね……」と理由を続けた。無安打の期間が長くなると、球場に行きたくないと感じる時もあった。その上で「でも、今年は切り替えができました。反省はしますけど、切り替えて『明日の試合』ってできていたので。そこは良かったところです」と胸も張れる。チームのため、自分自身のためにも、毎日が必死の戦いだった。

「他の選手、特に先輩は打てなかった日も普通に話をしているじゃないですか。そこの余裕はすごいなって思いました。僕はまだまだそのレベルにはいられないですし、そこがなかったです。僕は1軍で実質1年目というか、こんなに試合に出たこともなかったので。そこは仕方ないと思うんですけど、もっと余裕が出てくるような振る舞いはしたいですね……。打てなかった日も話ができるような余裕がほしいなと自分では思います」

 自分のことに精いっぱいではあったが、いつかは先輩のように「立ち振る舞い」まで考えられるようになりたい。リーグ優勝に貢献し、たくさんのことを学んだ2024年だった。

(竹村岳 / Gaku Takemura)