7度目の日本シリーズで初めて敗退も…“引っ張る側”として貢献したリーグV
日本シリーズはDeNAに2勝4敗で敗れて、2024年の戦いは終わった。2連勝して始まった同シリーズだが、そこから4連敗で一気に終戦。そんな中で気を吐いたのが今宮健太内野手だった。全6試合で安打を放ち、打率.375で敢闘賞にも選出された。自身7度目の出場となった頂上決戦で初めて日本一を逃す結果になったが、チームリーダーの存在感は一際、輝いていた。
4年ぶりのリーグ優勝を飾った今シーズン。7月には33歳になった。前半戦を終えた時には「もう(年齢的には)晃さんの下ですもんね。それはもう全然違います。特に自分が(先輩に)引っ張ってもらっていた時は、何回も優勝させてもらいましたし。そういう方がいなくなった途端に優勝できなくなっている」と語っていた。明確に自分が“引っ張る側”になり、駆け抜けた1年。全てが終わり、今宮は何を思うのか。
「自分が別に引っ張っていたわけではないですけど、年齢が33歳あたりと考えれば……。(自分が年下だった時は)完全に先輩たちについていっていました。それは間違いないです。今年のシーズンは、そこが違うところかもしれないです」
これまでも、言葉でリーダーシップを示していくことは「苦手」だと口にしてきた。それでも今宮ならではのキャプテンシーが表れたのが、8月28日のオリックス戦(長崎)だった。7回2死満塁から2番手として登板した津森宥紀投手が3連続押し出し四死球と大乱調。真っ先にマウンドに向かい、「堂々と投げろ」とゲキを飛ばした。それは今宮自身がより厳しく、変わり始めていることを象徴するシーンでもあった。
マウンドで訴えかける表情は反響を呼び、ファンの記憶にも色濃く刻まれた。ハッキリと言葉にしたからこそ、気付いたことがある。「松田(宣浩)さんや(川島)慶三さんとか、いろんな先輩がいて。ああいう姿を見て、すごいなと。(言葉で引っ張るのは)やろうと思ってもできないですし、難しい部分もたくさんありました」。そして、「そうじゃなかったら、日頃の練習、ゲームでの姿勢で見せていくしかない」と続けた。自分の立場を考えれば、背中で示していくだけではいけない。言葉の重要性と難しさを今宮自身が感じた瞬間だった。
プロ15年目は133試合に出場して打率.262、6本塁打、39打点。月別に見ると、最も苦しんだのは5月で月間打率.200に落ち込んだ。胸の中に秘めていたが、“感情の波”があったことを認める。「打てなくなった時とか、ゲームに出られなくなった時、自分に苛立ちとか歯痒さももちろんありました」。そうと言いつつも「それがなかったら、プロとしてどうなんだというところですから。それが表に出るか、出ないか。出ない人でも、(いろんな思いが)あると思いますよ」と頷いた。苦しくても自分の姿が周囲に悪い影響を与えないように、言動は常に考えさせられてきた。
「僕も、感情は出さないようにしようと結構前から思っていました。やっぱりそれを人に見せてしまうのは……と思いますし、簡単なことではないですけどね。(自分も)あまりガツっと感情が出るタイプでもないのかな。シーズン中も怒ることはあまりなかったです。もちろん悔しいこともありますけど、それはゲームの出来事ですし。怒るというか、熱くなるのが正常なんじゃないですか。プロですからね」
リーグ優勝を掴んだ2024年だが、栗原陵矢内野手は「部屋から出たくない」と語るほど苦しんだ。周東佑京内野手も、スタメンを外れることが多かった6月について「立ち振る舞いが良くなかった」と反省していた。チームのために、負の感情と必死に向き合う後輩に、今宮も「めっちゃ出ていましたね」と笑う。それでも、「クリもですけど、佑京に関しては、本当に(感情が出てしまうことが)少なくなってきたなと思いますし。選手会長というところで意識しているんじゃないですか」と、2人の後輩の成長を認めるシーズンだった。
通算1371安打を放ち、日本シリーズという大舞台も7度味わった。毎試合、ベストパフォーマンスを発揮するために準備をする。経験を積めば積むほど、洗練されたルーティンは一定になる。苦しくても、迷ったとしても、貫いたものが今宮にはあった。
「準備はもう同じですね。基本的に今年は全部一緒にしようと思っていました。何ひとつ、練習が変わる日がないように。これとこれはやってからベンチに下がるというのは徹底してやりたいと思っていました。案外、そういうところが後輩たちに見られていると思っているので。『今日やっていないな、手抜いとんな』って。そういうのはないようにしていましたね」
チームリーダーが語る生き様とプライド。今宮健太の存在が、ホークスの宝だ。
(竹村岳 / Gaku Takemura)