買わなかったダウンジャケット、あふれる本音「あと1年…」
悔しさ、不安、そして野球への思いがあふれ出た4時間だった。ソフトバンクの育成・鍬原拓也投手が28日、球団から来季の選手契約を結ばない旨を通達された。2017年ドラフト1位で巨人に入団し、2022年には49試合に登板するなど、プロの世界で足跡を残した右腕。今季からはソフトバンクと育成契約を結んだが、待っていたのは4度目の戦力外通告だった。「チームに貢献できず、支配下に戻れなかったのが悔しかった」。振り絞るように言葉を発した。
27日夜、約束通りの時間に鍬原は姿を見せた。「呼ばれちゃいました。『明日スーツで来てくれ』って。電話がきました」。席に座った直後の第一声だった。鍬原は私を気遣うかのように、明るい声を出した。「今日は飲みましょう」。注文は生ビールともつ鍋。テーブルに届いたジョッキを重ね合わせ、「お疲れ様」と言葉をかけた。
鍬原が連絡を受けたのは、27日の午後3時頃だった。福岡近郊のショッピングモール。目当ての品を探している最中に、電話が鳴った。すぐさま戦力外を察知した。「この先の生活を考えたら、買い物をしている場合じゃないなと思いました」。あてもなくモール内を一周し、何も買うことなく帰路についた。
「もう1年やらせてほしい……。今年は一番、悔いが残ります。違う話であってほしい。俺、どうしたらいいですか」。何かにすがるような声が耳を離れない。「声をかけてくれたホークスに何も恩返しできていないです。なんでもいいから恩返しがしたい」。戦力として必要ない――。そう告げられることは覚悟していても、口から出てくるのは球団への感謝。それが鍬原という男だった。
進路は未定も…示した現役続行の意思「ありがとうございました」
鍬原がビールジョッキを空にするたび、会話の中心は自身から後輩へと移っていった。「あいつには成功してほしいんです。親心みたいな感じですよ」。口にしたのは、ドラフト1位ルーキー、前田悠伍投手への思いだった。「『鍬原さんのおかげで成長できました』ってあいつに言わせてくださいよ」。そう語る右腕の表情は、つい何時間前に自らの運命を悟ったとは思えないほど、穏やかだった。
今春の宮崎キャンプで、前田悠には“社会人”としての振る舞いを教えてきた。「目上の人に対する電話の切り方だったり、LINEの終わり方とかも教えてきました。うるさく言ってきた部分もあったけど、ずっと『クワさん』って寄ってきてくれたことが嬉しかったですね」。10学年下の後輩に頼られる。悪い気はしなかった。
ドラフト1位同士が故の相談もあった。「『僕が動くと記者がついてくるんですね』って言ってたんですけど、『それ1年目だけやから。2、3年経って、成績を残していなかったら取材もしてくれんくなるから。今のうちからしっかり対応せなあかんで』と。そんな話もしてきましたね」。“巨人のドラ1”という、想像を絶するようなプレッシャーの中で日々を送ってきた右腕。それでも“金看板”をひけらかすことなく、誰にでも分け隔てなく接してきた。そんな鍬原の周りには前田悠だけではなく、常に若手が集まっていた。
いつの間にかグラスの中身は変わり、もつ鍋のスープは蒸発していた。戦力外通告を受けたのは、7年のプロ野球生活で4度目となった。「現役は続けたいので頑張ります。ありがとうございました」。小雨が降る中、何度も頭を下げた鍬原。多くの感情が交錯した、あっという間の4時間だった。
(飯田航平 / Kohei Iida)