「打席に立てるなら戦力だから」
指揮官からの言葉は短くとも、全幅の信頼が感じられた。「打てる打てないじゃなくて、振れるんだったらと。打席に立てるなら戦力として考えてるからって言ってもらえたので。その言葉が本当に背中を押してくれましたね」。近藤が口にしたのは感謝だった。
6月12日のヤクルト戦(みずほPayPayドーム)。左翼守備でダイビングキャッチを試みた際に右手を痛め、途中交代を余儀なくされた。試合後に行われた小久保監督の囲み取材。普段は落ち着いた対応を見せる指揮官だが、「今後に響いてもらったら一番困る選手なので」と珍しく表情を曇らせた。柳田悠岐外野手を欠く中で、近藤が「絶対的な存在」であることの証だった。
近藤にとって、試合に出場する“条件”はチームの戦力になれるかという一点だった。迷惑がかかるなら——。その葛藤を取り除いてくれたのが小久保監督の言葉だった。「バットは振れそうだったので」。翌13日からも指揮官はオーダー表に背番号3を書き入れ続けた。
ホークスに移籍して2年目の今季、近藤は「監督・小久保裕紀」をどう感じたのか。「いつも言われているように隙がないというか、僕らもそういうのを見せられない雰囲気はあります」。主力やベテランであっても気の抜いたプレーは許されない。ピリッとした緊張感が常にあった。
勝利が絶対命題の一方で、大胆に若手を起用し続けた小久保監督。近藤はこう分析する。「若い選手はやりやすいのかなと。その(起用の)根本にあるのは、やっぱり主力がしっかり活躍してこそだと思うので。だからこそ、チームの中での競争だったり、いい相乗効果だったりが生まれているのかなと」。
リーグ優勝を決めた9月23日のオリックス戦。同16日の同戦で右足首を負傷し、出場選手登録を抹消された近藤は松葉杖を手に歓喜の輪に加わった。京セラドームのグラウンド上では小久保監督と穏やかな笑みで抱擁を交わした。「みんなと喜びを分かちあうことがて、うれしかったです」。痛みに耐え、戦っていた日々が報われた。
「やっぱり優勝争いのプレッシャーというのはありました。日本ハムで優勝した12年はプロ1年目だったし、16年は怪我でそこまで試合に出られていなかったので。やっぱり自分の成績とリンクしてチームの順位が決まるってのは、嬉しいことではあるかなと思いますね」
チームは歩みを止めることなく、先のクライマックスシリーズ、そして日本一を目指して前に進む。「しっかりと(右足首を)直して。今度は日本一の輪にいられるようにしたいと思います」。天才打者の2024年は、まだ終わらない。