オスナから「まだ言わないで…」 約束守った9月5日の再来日、痛感したサファテの“重圧”

デニス・サファテ氏(左)とソフトバンクのロベルト・オスナ【写真:荒川祐史】
デニス・サファテ氏(左)とソフトバンクのロベルト・オスナ【写真:荒川祐史】

10日の3軍戦で実戦復帰…最速148キロで「投げられた喜びを感じました」

「これはまだ言わないでほしいんだけど……」。渡米する直前、漏らすように話していた。ファンからのさまざまな声も、真っすぐに受け止めてきたつもりだ。ソフトバンクのロベルト・オスナ投手が再来日したことが、6日に球団から発表された。「早くチームメートと一緒に野球したいという気持ちで戻って来られました」と、もう1度チームの戦力になるために、日本に帰ってきた。そんな右腕は、かつて「キング・オブ・クローザー」と呼ばれたデニス・サファテ氏に自分自身を重ねていた。

 10日には、四国IL・徳島との3軍戦(タマスタ筑後)に先発登板した。7月2日の西武戦(東京ドーム)以来、2か月ぶりとなる実戦マウンドで、2イニングを投げて1安打無失点。「投げられた喜びを感じましたし、久しぶりに投げられてよかったと思います」と、率直な思いを口にした。最速は148キロで、状態は「60%から65%くらい」だという。

 今季は30試合に登板して0勝2敗20セーブ、防御率3.99。誰よりもオスナ自身が、もどかしい思いを抱いて戦っていた。体が悲鳴を上げたのは、7月3日の朝。都内のチーム宿舎での出来事だった。起き上がることすらできず、すぐに電話で人を呼び、助けてもらった。急いで福岡に戻り病院で受診したが、そこからは眠ることですら苦労し「最悪の2週間だった」と振り返っていた。

 渡米したのは、8月2日。その直前、右腕は鷹フルの単独インタビューに応じた。「僕はリハビリをしにアメリカに帰ります。怪我があって、それを治すために帰ります。まずはそれを伝えたいです」。10分ほどの問答を終えると、オスナから切り出してきた。「これはまだ言わないでほしいんだけど……」。コッソリと明かしたのは、実は米国から日本への便がすでに決まっているという事実だ。再来日が予定されていたのは、9月5日だった。

 米国での治療が長引けば当然、日本への帰国が遅れる可能性もあった。そして、再来日が球団から発表されたのは9月6日。田原大樹通訳も「渡米の時に言っていた、あの便で本当に帰ってきました」と頷いた。予定通りに再来日したというのは、治療がうまくいった何よりの証。実戦登板のブランクを認めながらも、「実際に体重を落としたことによって投げやすいというのは間違いないです」と、不安なく戦える状態になったことが大きかった。

 腰部の治療のため、緊急渡米をすることになった。4年40億とも言われる大型契約。ファンから「給料泥棒」とすら呼ばれ、厳しい声はオスナ本人のもとにも届いていた。「それ(ファンの声)は自分にとっては非常に大きなことなんです。気にするな、という方が自分にはできない。無理なことです」。できる手段を尽くして改善策を探し、マウンドでは強くあろうとした。それでも、ファンから聞こえてくる声について話している際に浮かべた、あんなに悲しそうなオスナの表情は見たことがなかった。

デニス・サファテ氏(右)と握手するソフトバンクのロベルト・オスナ【写真:荒川祐史】
デニス・サファテ氏(右)と握手するソフトバンクのロベルト・オスナ【写真:荒川祐史】

 自分を重ね合わせたのは、デニス・サファテ氏だった。2017年にシーズン54セーブというNPB記録を打ち立てたが、翌年からは股関節の故障に苦しんだ。2019年から3年契約を結んでいたが、その期間で1軍登板は1試合もできなかった。

 直接本人の口から、当時の苦しみについて詳しく聞いたことはない。それでもサファテ氏が、本気で復帰を目指していたことは、オスナにも容易に想像ができた。自分自身も春先から腰部に違和感を覚えながらも、ベッドから起き上がれなくなってしまうまで、チームのために腕を振り続けてきたからだ。契約の大きさから背負う重圧と、周囲の期待、そしてチームに貢献したい思い。だから「サファテの気持ちがよくわかります」と言い、なぜ「キング・オブ・クローザー」が、今もファンから愛されているのかを思い知った。

「今の時期っていうのは春先と違って1試合の重みが違うと思うんです。1試合負けたからまた明日ってわけじゃなくて、9月になると1試合負けたらガラッと状況が変わってくるので。1試合1試合が大事ですし、そこで投げられるような感じで状態を上げていきたいと思っています」

 過ぎ去った時間が戻ってこないこともわかっている。だから勝負の9月、どんな形でもチームの力になりたい。ホークスが、チャンピオンになるために。

(竹村岳 / Gaku Takemura)