20番の“前任者”…甲斐野央から届いたDM 中村亮太の「兄」との別れ、戦力外通告の秘話

ソフトバンク・中村亮太【写真:竹村岳】
ソフトバンク・中村亮太【写真:竹村岳】

7月24日に支配下選手登録…新しい背番号が20番だと知った瞬間とは?

 ソフトバンクは24日、中村亮太投手を支配下選手登録すると発表した。137番から20番へ。中村亮は2桁という1つの通過点を叶えてみせると、インスタグラムにダイレクトメッセージが届いた。送り主は、西武の甲斐野央投手。20番の“前任者”だ。届いたメッセージの内容、“兄”と慕う甲斐野の存在、2年前に受けた戦力外通告――。中村亮が今抱く決意を激白した。

 支配下登録された時点での成績は、ウエスタン・リーグで18試合に登板して3勝1敗3セーブ、防御率3.19。三笠杉彦GMも「1軍の戦力として活躍できる能力と実績を残してくれた4選手を今回、支配下登録させていただいた」と語るように、1軍で戦えるだけの力を着実に身につけてきた。会見での中村亮の表情には笑顔はなく「ここからがスタート」だと、引き締めているような印象だった。

 夢に見てきた2桁。番号は20番だった。多くの祝福の連絡をもらう中で、ピンク色の通知が届いた。その送り主が、甲斐野だった。

「連絡しようとしていたんですけど、タイミングもあって、甲斐野さんも怪我で辛い時期かと思っていたんです。そしたら、向こうから『おめでとう! いい番号もらったね』って。『いい番号すぎて最初はびっくりしたんですけど、今後似合うように頑張ります』って言ったら、甲斐野さんが『亮太は亮太らしく自分のピッチングをすればいいだけだから。そしたら勝手に自分の番号になる。俺の番号だなんて思わずに、自分の番号にしちゃいなよ』って言ってくれました」

 24日の会見は、ファーム施設「HAWKS ベースボールパーク筑後」で行われた。球団の編成担当者と会い、契約書に正式にサインをする。その場で三笠GMから「背番号は20番です」と伝えられた。「これが良くも悪くも、ホークスでプレーする以上は最後の番号だと思いました。これ以上いい番号は絶対にないですし、これが変わる時っていうのは野球をやめているかもしれない。1年でも長く、この番号を他の人に渡さないようにしたいです」。覚悟が決まった瞬間でもあった。

 甲斐野との関係は「めちゃくちゃ仲良かったです」と明かす。昨オフにホークスは、西武から国内FA権を行使した山川穂高内野手を獲得した。その人的補償として、今年の1月に移籍が決まったのが甲斐野だった。中村亮は笠谷俊介投手とともに、関西で自主トレを行なっていたところで「それまで、甲斐野さんと普通にスニーカーの話をLINEでしていたんです。その3日後くらいに記事が出て、笠谷さんが『電話してみよう』って、甲斐野さんもビデオ通話に出て。お風呂にいたんで『お前、風呂中に電話かけてくんなよ!』って笠谷さんに言っていました」と明かす。兄のように接していた先輩がまた1人、ホークスを去った。

「寂しくなるなと思いました。移籍が決まった時も甲斐野さんは『チャンスかもしれないけど、仲間的に考えると離れづらい』と言っていました。甲斐野さん、泉(圭輔)さん、笠谷さん、そこに同じ年って感じで話に加わる礼(高橋)さん、椎野(新)さん、めちゃくちゃ皆さんいなくなっちゃったので……。弟分のように良くしてもらいましたし、自分にとってもお兄ちゃんのように接していました」

 思い入れのある先輩ばかりだった。甲斐野とはプライベートでも繋がりが深く「自分の幼馴染がいる会社で、甲斐野さんのお兄さんが働いているみたいで『お前の幼馴染と俺の兄ちゃん、仲良いんだけど』みたいな」と不思議な縁もあった。遠征先のホテルでも、自然と1人の部屋に集まる。「学生の修学旅行みたいな、泉さんとか礼さんとかと一緒にトランプしていました」とグラウンドの外でも思い出ばかりだ。

1月に人的補償で西武に移籍した甲斐野央(左)【写真:竹村岳】
1月に人的補償で西武に移籍した甲斐野央(左)【写真:竹村岳】

 中村亮にとっては、2度目の支配下登録。1度目は2022年7月に掴み取り背番号も60番を与えられたが、1軍で2試合に登板して防御率33.75に終わり、同年オフに再び育成契約を結んだ。戦力外通告を受けて「これがプロの厳しさなんだって思うしかなかったですね」。さらに複雑な感情を抱いた出来事もある。1度は自分のものにした60番が、新人の大野稼頭央投手に与えられたことだ。「その番号に愛着が湧く前に終わってしまいましたね」。自分が越えていかないといけないハードルが明確となり、また覚悟が決まった瞬間だった。

「球団からも『枠の関係で……』と言われて育成にさせられたとしても、並の結果じゃ支配下には戻れないんだと思いました。普通以上の結果を残さないと。最初は誰もがビハインドの展開から投げると思うんですけど、接戦で登板しても平気な顔をして投げられるくらいのメンタルじゃないと、そんなレベルじゃないと僕は支配下にはもう戻れないと、60番が埋まった時に思いました」

 4年目を迎え、育成時代の挫折も悔しさも染み込んだ137番。「ものすごく愛着があります。自分の原点だと思います」と思い入れがある。2020年育成8位、ホークスの中でもその年の最下位からの入団だった。新しい背番号とともに、1軍の舞台で必ずリベンジしたい。

「まだ甲斐野さんの番号という印象が強いと思います。20番が見慣れてきたなって思ってもらえるように。今まで20番だった人って甲斐野さんで、寺原(隼人2軍投手コーチ)さんがいて、その前も巽真悟さんという方で、皆さんドラ1じゃないですか。なんなら自分は“逆ドラ1”なので、しっかりと似合うように、やっていきたいです」

 会見でも「リベンジ」という言葉を使って、自分の思いを表現していた。甲斐野の思いまで背負って、決意だけが込められた20番のユニホームで、マウンドに立つ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)