思い出話は「言えないことしかない(笑)」 柳田悠岐と福田秀平、“同級生”が今語る胸中

ソフトバンク・柳田悠岐【写真:竹村岳】
ソフトバンク・柳田悠岐【写真:竹村岳】

柳田が語る「福田秀平という男」…ライバルよりも友人「一緒に活躍したかった」

 1日に今季限りでの現役引退を発表した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)の福田秀平外野手に対し、ソフトバンクの柳田悠岐外野手が鷹フルの単独インタビューで思いを語った。柳田が唯一、福田に励まされたというエピソードや、今だからこそ明かせる裏話の数々も。全文は以下の通り。

——福田選手から現役引退の一報を受けての率直な思いは。
「いやー、もうお疲れ様でしたっていう気持ちで。体がね、ボロボロだったのも知っていましたし。とりあえずゆっくり休んでほしいなという気持ちになりました」

——寂しいという思いも。
「うーん……。まあロッテに行った時に、ものすごく寂しかったですし。こうやって(ホークスで)一緒に戦ったチームメートなので。まあでもね、いつかそういう時が来るので。これから付き合いも続くと思いますし。とりあえずはゆっくり休んでほしいなっていう気持ちが強かったですね」

——これまでストレートに寂しいという感情を口にすることはなかったイメージだが。
「もちろん秀平が自分で決めて、ロッテで挑戦したいということも聞きましたし。もちろんプロ野球選手なんで、そう思うのは当然かなとも思いましたので。敵にはなりますけど、頑張ってほしいなっていう。その時にはそういう気持ちでした」

——実際に福田選手から伝えられたのはいつだった。
「最初はなんか食事行った時に『もしかしたら辞めるかも』って。で、(その後は)最近っすね。電話で。『色々ありがとう』と言っていただいて。うん……ウルっと来ましたね。僕は何て言えばいいかっていうのを色々考えたりしながら聞いてましたけど。秀平は少しウルっときてるような感じやったんで。もらい泣きしそうになったんですけど、泣きはしなかったです」

——福田選手が震え声みたいな感じだった。
「そうですね。ちょっと、若干」

——電話では福田選手からどんな言葉があって、柳田選手はどういう言葉をかけたのか。
「うーん、まあ色々。一緒のチームでやってる時にね、色々あった話とか。苦しい時に乗り越えたこととか。そういう話です」

——苦しい時といえば、柳田選手が2019年に左膝裏を故障し、4か月ぶりに実戦復帰した際には涙を流していた。その時、福田選手に「泣いちゃったわ」と話したこともあった。
「あー、確か秀平も脇腹を怪我してましたし。それ以前もね、秀平は怪我を結構していて。多分、苦しい思いをしていたと思うんで。もちろんね、打てない時とか、走塁とか守備で失敗した時とか。ロッカーも隣やったんで。色々話しながら、一喜一憂しながらやってましたね」

——福田選手と話すことで気持ちを切り替えていた。
「そうっすね。結構、秀平は一喜一憂するタイプなんで。自分はあんまり一喜一憂しない方がいいんじゃないかなっていうスタイルでやってるので。なんで、そういうのは僕が色々言ったりしてましたね。背中叩くみたいな」

——柳田選手が励まされたことは。
「僕が1回、マリンでフライを落としたんですけど(2015年5月13日のロッテ戦、当時QVCマリン)。僕がセンターで秀平がライトで。声を掛け合うのをミスって、ぶつかりそうになりながら僕がグローブを出して落としたんですけど。そん時に結構ショックを受けて。で、秀平に誘われて。その日一緒にご飯行って、というのは覚えてます」

——かなり落ち込んだ。
「いや、落とした瞬間だけ落ち込みましたね(笑)。食事行った時はもう結構、明日から頑張ろうみたいな感じでしたね」

——それが一番励ましてもらった思い出。
「励ましてもらった記憶はそんくらいっす」

——7月26〜28日にくふうハヤテが2軍戦でタマスタ筑後に来ていた時には食事にも行った。どんな話を。
「特に変わらず。(現役引退までに)残りの契約もあると思うので。その間にどういうことをするとか、野球が終わった後にどうしようかなとか。いろんな話をしたり。そんな感じです」

オイシックス・福田秀平【写真:長濱幸治】
オイシックス・福田秀平【写真:長濱幸治】

——柳田選手にとって、福田選手はどういうプレイヤーだったか。
「やっぱり打って、走って、守って。どれもレベルが高い選手っていうイメージで。やっぱり(2006年の高校生)ドラフト1位で入って、ポテンシャルが高い選手だなっていうふうに見てましたし。後は野球に取り組む姿勢とか、準備に向かう姿勢というか。そういうところもすごく意識の高い選手で。本当に勉強になるというか。同級生ですけど、そういうところはやっぱり真似していかなきゃいけないのかなっていうのは思ってましたね」

——入団直後に見た時には「すごいな」という感じだった。
「やっぱり早くにプロに入られて、プロの世界で揉まれている選手なんで、すごく頼りになるというか。色々と話を聞いて、教えてもらって。その中でも、やっぱり同級生なんで。食事とか一緒に行ったりして。たくさん思い出はあります」

——ライバルという意識もあったのか。
「どうっすかね。僕はあんまり……。なんて言うんですかね。ライバルというよりは、もう自分のことで必死だったので。どっちかと言ったら、やっぱり一緒に試合に出て、一緒に活躍したいなという気持ちでいましたね」

——仲良くなったきっかけは覚えている?
「最初のきっかけですか。なんやろな。僕が1軍に上がった時に秀平はずっと1軍にいたんで。ご飯を誘ってもらって、2人でご飯行って。そんくらいからですかね、1年目の」

——最初から敬語で話すことはなかった。
「そうですね。秀平は最初から1軍でしたし。寮で会う時もね、(1軍が)ナイターで会うことがなかったんで。たまに会ったらね、1軍のオーラというか。1軍選手っていうふうにみんな見てたんじゃないですかね。その当時の寮生は」

——だからこそ、自分も早く1軍で一緒にプレーしたかった。
「まあいずれは1軍の選手になりたいなとは思いましたけど。まだまだね、技術的にも足りないと思っていましたし。しっかり練習しないといけないなと思ってました」

——福田選手がロッテにFA移籍する際にはどんなやりとりをした?
「僕は残ってほしいなと思っていましたよ、もちろん。残った方がいいんじゃないかなっていう。いいんじゃないかって自分の願望込みで。僕はずっと、秀平が決めたっていうまでは。でも僕だけじゃないですか。(川島)慶三さんとか、千賀(滉大)とかとよく飯に行ってたイメージがあるんですけど。『チャンスがあるなら挑戦した方がいいんじゃない』みたいな、そういうふうに言ってる人もいましたし。何が正解かってのはわかんないですけど。自分はやっぱり、友達としてですね」

——残った方がいいんじゃないって。
「いやいや、そんなんじゃない。『残った方がええやろ』って。そう言ったのは覚えてますけどね」

——そこは本心をちゃんと伝えた。
「そうですね、はい」

——福田選手がくふうハヤテで現役を続行すると聞いた際には、やはり覚悟を感じた。
「そん時は、『体のコンディションも良くなってきたから、もう1回』と(聞いて)。(去年までは)思うように体が動かなかったと思うんで。それがちょっとでも良くなったらやりたいというふうには言っていましたし。ずっとね、いろんな病院に行って、注射を打ったりとか。そういうことをしていたのは聞いていましたし。お世話になったお医者さんとか、トレーナーさんとか。そういう方々のためにもやりたいと言っていたんで。それは本当にかっこいいなと。頑張って言いましたけど」

——自分1人のための野球じゃなかった。
「そうですね。そういうのを言っていたんで、かっこいいなと思いました」

——福田選手の体の状態はよく聞いていたと思うが、柳田選手だったら現役をやれると思うか。
「やれないです。はい。まあでも、お世話になった方々のためにやるっていうのは、かっこいいなと思いますし、自分もそういうところは大事にしていきたいなと思ってますけどね」

——現在(2026年までの)7年契約を結んでいて、それが切れたら現役をやめると口にしている。現役生活の時間が短くなっている中で、福田選手の引き際をどう捉えたのか。
「一番はやっぱり体がね、ボロボロになるまでやるっていうのが尊敬するというか、すごいなっていう。並大抵の精神力じゃできないと思うので。強い人間だなと感じますし。自分はボロボロになるまでできるかって考えたら、やっぱりできないなと思うので。そこはやっぱり強い精神力を持ってるんだなと、あらためて感じました」

——キャリアを長く積んできたからこそ感じる部分か。
「もちろんです。やっぱりプロで活躍するってのもすごいですけど、長くやる人間ってのは、もう本当に尊敬できるというか。すごい人だなって感じます」

——今だから言える思い出話は?
「言えないことしかない(笑)。それだけ書いとってください。思い出話っていわれたら、本当に言えないことしかないんですけど。大体みんなそうでしょ。友達ってそんなもんなんで」

——そこまで言える相手はいる?
「前から関わってきた選手なら、やっぱ若い時とかね。毎日一緒にご飯行ったりとかしてましたんで。そういう選手はやっぱり仲良くやらしてもらってます。もう今はそれはないですけど。その当時、やっぱり一緒に這い上がろうという気持ちでやってた選手も、やっぱり仲良くなるのかなと思います」

(長濱幸治 / Kouji Nagahama)