西谷浩一監督が前田悠伍を語る 土砂降りの初対面…“赤い糸”で結ばれた大阪桐蔭への入学

大阪桐蔭時代のソフトバンク・前田悠伍【写真:小林靖】
大阪桐蔭時代のソフトバンク・前田悠伍【写真:小林靖】

大阪桐蔭高の西谷浩一監督を単独インタビュー…初対面で前田悠伍の第一声は「全然ダメ」

 大阪桐蔭高の西谷浩一監督が、鷹フルの単独インタビューに応じた。昨年のドラフト会議でソフトバンクに1位指名された同校のOB、前田悠伍投手について全3回にわたって紐解いていく。第1回は、西谷監督と前田悠の「出会い」。中学生の時点で「全てのものを兼ね揃えていました」という、投手としての完成度とは。土砂降りの初対面から「ぜひお預かりしたい」と伝えるまで、大阪桐蔭とは“赤い糸”で結ばれていた。

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 西谷監督自身は「皆さんがいうほどのものではないですよ」と謙遜するが、スカウティングに力を入れていることは有名だ。前田悠についても「中学校の1年の時くらいから『うちに来たい』という話は聞いていたんですけど、僕も1年生を見に行く時間はなかった」と振り返る。多忙な中でも、滋賀県に「かなり良い」というサウスポーがいることはしっかりと頭に入っていた。「コーチは前田を見ていましたので『かなり良い』とは聞いていました。中2の終わりくらいですかね、初めて見たのは」。それが、土砂降りの初対面だった。

「土砂降りの雨の中でしっかりボールを投げていて、大したものだなと思って見たのが初めてのゲームでした」

 大阪桐蔭への入学を目指す前田悠にとっては、貴重なアピールの機会。2人が言葉を交わしたのは試合後で、前田悠の第一声は「全然ダメでした」だった。一方で西谷監督は「本人としては晴れたところでベストピッチを見てほしかったと思うんですけど、僕としては下がぐちゃぐちゃの中でも真っすぐも変化球もコントロールできていましたし、逆にすごいなと思いました」と受け取っていた。悪条件でもマウンドで毅然としていたから、具体的な会話の内容は今も胸に刻まれている。

「『今日はダメでした』と言うので『全然、ダメじゃないと思うよ』っていう話をした記憶があります。実際に話をしてみても、しっかりとした、目を見て話ができる子なので。気持ちの強い子だなとも思いました」

 前田悠にとって滋賀県の湖北ボーイズの先輩でもある横川凱投手(巨人)が、2018年の甲子園春夏連覇の一員となった。当時、中学1年。導かれるようにして大阪桐蔭への憧れを抱いていた。前田悠が初対面を「覚えています」と言えば、西谷監督も「中学生の時点でピッチングができていました。球が速かったりコントロールのいい投手はいるんですけど、なかなかピッチングができる中学生はいないんです。そこにびっくりしました」と振り返る。前田悠の才能に惚れ込んだのは、中学生らしからぬ“完成度”が理由だった。

「中学生のレベルで言うならば投手としての全てのものを兼ね揃えていたと思いますね。なかなかそんな投手はいないです。球が速いだけ、コントロールがいいだけ、変化球がいいだけという投手はいますけど、全てのものが中学生のレベルでいえば遥かに超えていました。バッターを見て、ランナーを見て投げられますし、もっと言えば状況を見て投げられるので。中学生だともちろんなんですけど、高校生のレベルでもなかなかいないです。(大阪桐蔭入学以降も)すごい才能だと思って、一緒にやっていました」

大阪桐蔭・西谷浩一監督【写真:小林靖】
大阪桐蔭・西谷浩一監督【写真:小林靖】

 大阪桐蔭は1学年20人ほどの少数精鋭。前田悠との初対面から正式に声をかけるまで、少し時間が空いたかと思えば、西谷監督は「いえいえ」と否定する。土砂降りの初対面で、もう大阪桐蔭への“赤い糸”は結ばれていた。

「前田の場合は中1の時から来たいというのは聞いていましたので、来るという前提で見に行きました。(僕としても)『一緒にやろう』という気持ちでした。だから見定めるとかというよりも、会いに行った感じでしたね。コーチからも『良い』というのは聞いていましたし、チームの方とも『こんな子がいるんだけど』という話もしていたので。それはぜひお預かりしたいということで。それ(投げる姿)を見て確信しました」

 前田悠の大阪桐蔭への憧れと、中学生離れした能力があったから結ばれた縁。「下級生だったので、まだ正式な話ではなかったんですけど」と具体的なステップはもう少し先だったそうだが、すぐに気持ちは固まった。「早い段階で前田がうちに決めてくれていたので、1つ大きな柱ができていました。この学年はもう左投手に関しては、もう他はいらないくらいの気持ちだったので」。その学年の“編成”にも影響するような大きな存在。前田悠の大阪桐蔭への入学は、こうして決まった。

 2021年春。入学しても前田悠の姿は「変わらなかったです。中学生と高校生では体も環境も違うので、どういうふうにするかなと思いましたけど。練習でも試合でも、しっかり状況を見ていました」と地に足がついていた。1年夏からベンチ入りはできず、チームは甲子園の2回戦で近江高に敗戦。「こちらがメンバーに入れようと思えば、入れて投げることはできたと思いますけども、やっぱりもうちょっと体作りをしてからの方がいいと思いました」と理由を明かす。秋以降、絶対に主戦投手になってもらわないといけなかったからだ。

「実力的には1年生の夏からメンバーに入るだけの力はありました。ですけど、秋は前田に投げてもらわないと困ると思っていたので、もう少し体作りをしっかりとして、秋に万全で入ろうと思っていました」

 新チームとなり、秋には神宮大会優勝を果たして“全国制覇”を経験。2年春の第94回選抜高校野球大会でも優勝に貢献したが、いずれも背番号は「1」ではなかった。次回は西谷監督がエースナンバーを「あえて渡さなかった」理由に迫る。

(竹村岳 / Gaku Takemura)2024.07.03