川村友斗が語る仲田慶介…同期入団の同級生は「あいつめっちゃ天然」
2人の間で“約束”していることがあった。常に足元を見て、一歩ずつ進んでいきたかったからだ。ソフトバンクは19日、仲田慶介内野手、緒方理貢外野手、川村友斗外野手と支配下契約を結んだことを発表した。仲田と川村は、同年の育成ドラフトで入団した同期であり、同級生。同じ日に2桁の背番号を勝ち取った2人には“禁句”にしていることがあった。
川村は2021年の育成ドラフト2位で仙台大から入団。仲田は同年の育成14位で、チームメートとなった。川村は仲田との初対面を「同級生、同級生! って。よろしくって感じで言っていました」と懐かしそうに振り返る。1999年組で同じ育成野手。距離感はすぐに縮まった。川村は2023年のオープン戦で本塁打を放つなどアピールし、仲田も泥臭い姿勢と多様な起用に応えるユーティリティ性で、一緒に支配下を目指してきた。そんな2人の“禁句”だったこととは――。
それは、支配下になった時の背番号について。他愛もない会話の延長で「支配下になるなら、何番だと思う?」と笑い合った。しかし、3桁でプロの世界に入り、同じ通過点を目指してきた2人。すぐに「やっぱり言わんとこう」と首を横に振った。“フラグ”のようになってしまうのを恐れて、お互いのイメージを共有することはなかったそうだ。川村も「背番号は(支配下に)なってからのことですから」と、常に足元を見てきた2人だから、61番と69番で報われた。
仲田は69番について「牧原さんも最初支配下に上がった番号が69番だったので、自分も牧原さんのようにまずはユーティリティとしてしっかりとチームに欠かせない選手になっていけるように頑張っていきたいと思います」という。牧原大成内野手が2012年6月、初めて着用した2桁の背番号が69番だっただけに、偉大な先輩と重ねた。
「(何番がよかった、とかは)ないんですけど、2桁だったら00番だったりするのかなっていうのは思っていました(笑)。00番って他球団とかもユーティリティ系の人がつけているイメージで、00番か69番だとは思っていたので、よかったです。3桁じゃなくて2桁っていうのが、プロ野球選手になったんだなって思います。3桁はプロ野球選手じゃないとずっと思っていたので、2桁になったことで重みは感じました」
当然、想像の領域でしかない話。2桁となり1軍の試合に出る権利を掴んだのだから、心から喜ぶことができた。川村も「奥村(4軍ファーム投手コーチ補佐)さんのイメージがあったので、1番先に(思い浮かびました)。去年はヘルナンデスがつけていたんですけど、奥村さんのイメージが強かったです」とはにかむ。自分の力で初めて勝ち取った2桁なのだから、価値のある番号だ。
追いかけ続けた支配下という1つの夢。2023年、川村は諦めかけもした。その時に刺激をくれたのも、同じ育成の仲間たちだった。
「去年(2023年)の6月頭くらいに、3軍に落ちたんです。『このままだったら今年の支配下は厳しいだろうな』って思ったんですけど、その時に2軍で仲田とか西尾が頑張っているのを見ると、置いていかれちゃダメだなって思ったのはありました。それが一番でした。(仲田は)すごくちゃらんぽらんなやつなんですけど、野球に取り組む姿勢っていうのは刺激を受けますし、全ポジションを守っていて練習量も多いのに、(さらに)練習している姿を見ると、刺激というか。こんな人と野球をやるのは初めてです」
1年目の2022年、ウエスタン・リーグで川村は39試合、仲田は36試合に出場。2軍の舞台に立つ時も同じだった。川村が「(同期入団で同級生の)正木はもう1軍に行っていましたし、仲田は話しやすかったです」と話せば、仲田も「入団した時から、走攻守もパワーもあって、自分にないものをすごく持っている。絶対に負けたくない気持ちで、高め合ってきた選手です」と存在を表現する。正木や、ヤクルトへ移籍した増田珠内野手も含めて横の繋がりが強い1999年組だが、育成だった2人にしか共有できないものが確かにある。
挫折も悔しさも、プロとしての2年間が詰まった“3桁”に別れを告げることができた。打席に立つ時は1人だが、一緒に戦ってくれる仲間がいたからここまで来られた。川村の「あいつ、めっちゃ天然じゃないですか? 最初は大丈夫かなって思ったんですけど、めちゃくちゃいいやつです。一番刺激を受けています」という“ちょっとの心配”と、絶大な信頼。いつか必ず、2人が1軍のヒーローインタビューに選ばれる日を見たい。
(竹村岳 / Gaku Takemura)