「ドラ1ってすげえ」 甲斐野央が“本気”になった瞬間…笠谷俊介が見た決意と数々の思い出

西武に移籍した甲斐野央(左)とソフトバンク・笠谷俊介【写真:荒川祐史】
西武に移籍した甲斐野央(左)とソフトバンク・笠谷俊介【写真:荒川祐史】

笠谷俊介を単独取材…いつもと違うことを明確に感じた甲斐野央からの不在着信

 球友の“目の色”が変わった瞬間は、今でも覚えている。家族ぐるみで付き合いがあった選手の移籍は、やっぱり寂しかった。大阪で自主トレを行なっているソフトバンクの笠谷俊介投手が、鷹フルの単独取材に応じた。甲斐野央投手の移籍に「マジか……」と本音を漏らした。5年間の中で印象に残っているのは「ドラ1ってすげえな」と思った出来事。甲斐野の目の色が変わり、人生を変えようとした瞬間を目撃した。

 チームは今オフ、西武から国内FA権を行使した山川穂高内野手を獲得した。その人的補償として指名されたのが甲斐野。新天地での背番号は34に決まった。2014年ドラフト4位で大分商から入団した笠谷。2018年ドラフト1位、大学を卒業してプロ入りした甲斐野とチームメートとなった。知り合ったばかりの時期を振り返ると「寮でみんなでテレビゲームして、あいつから何回も挑んできたり。キャンプで2人で買い物に行ったりしていました」と言う。

 人的補償が発表された1月11日。甲斐野の移籍を知った具体的な状況を明かす。普段から連絡を取る仲ではあっても、いつもとの違いを明確に感じた。

 練習を終えた午後6時、スマートフォンを見たら甲斐野から不在着信があった。「あいつから電話がかかってきていたんです。それで『甲斐野か……』ってなりました」と、通知を見て全てを察した。「よく電話はするんです」という関係性ではあるが「でも、今回のはタイミングがタイミングだったので、ちょっと違うなっていうのはわかりました」。甲斐野から伝えたいことがあって電話をかけてきていることを、一瞬で理解してしまった。すぐにかけ直して、本人の言葉で一報を知った。

「『いや、マジか……』って思いました。家族ぐるみでも一番仲が良かったですし、あいつが毎回しゃべってくれて助かる部分がありましたし。おらんくなるのは寂しいです。(電話では)甲斐野も『寂しいのは寂しい』って言っていましたけど、そんな悲しんではいなかったですよ。野球をやる分には変わらないですし、同じリーグですし。あいつにとってはチャンスかもなって話はしました」

 電話を終えて、その日の夜に眠りにつく。ベッドの中でも「甲斐野が西武ってなった時に『嘘なんかな』とも思ったんですけど、その後に記事がバンバンと出ていたし、あいつからの電話もあって『これは本当なんや』って、そんなこと考えながら寝ました」と、考えはなかなかまとまらなかった。一夜明けて目覚めると「ものもらいができていました。朝起きて目が変やって思って鏡を見たら腫れていたので、甲斐野のストレスやなって(笑)」。涙は流していないそうだが、偶然とも思えないタイミング。すぐに写真を撮って甲斐野に送った。

 高卒の選手にとって4年目を終えた時点のドラフトは、大卒の同級生が入団してくるタイミングでもある。「最初僕は人見知りだったので、そんなに話かけられなかったんですけど、あいつは田舎育ちの関西人なので(笑)。めちゃくちゃ話かけてくれるんですよ。それでブルペンで球見たらめちゃくちゃ速いし『なんなんこいつ』『すげえな』って感じでした」と振り返る。具体的なきっかけ、というよりも、甲斐野の明るいキャラクターのおかげもあって、関係性は自然と深まっていった。

 笠谷も印象深いというのが、2019年3月29日。西武との開幕戦だ。甲斐野は延長10回から2回を投げて無失点、5三振を奪う。11回にサヨナラ勝利で、いきなりプロ初勝利を手に入れた。試合終了は午後10時45分だったが、若鷹寮で笠谷はゲームセットまで見届けていたという。「1年目で開幕から投げて『すげえな』って。羨ましいというか、俺も頑張らなあかんなって思いました」。当時の笠谷は未勝利。ウイニングボールを手に笑う甲斐野を見て、グッと背筋を伸ばしたことを今でも覚えている。

96年会の様子【写真:荒川祐史】
96年会の様子【写真:荒川祐史】

 2020年には自身が4勝を挙げる。一方で甲斐野は登板なし、12月に右肘を手術するなど大きな挫折を味わった。2021年8月15日に復帰するまで、甲斐野にとっては長期のリハビリ。暗く、地道な道のりの中で、目の色が変わった瞬間を笠谷はハッキリと覚えている。

「1回リハビリに行って腐っていたというか、落ち込んでいた時期があったと思うんです。千賀さんから何かしらの言葉を言われた時に、あいつの態度がガラッと変わって、その時に『こいつマジになったら本当すげえやつになる』『ドラ1ってすげえな』って思ったのは覚えています」

 今やメジャーリーガーとなった千賀滉大投手も、当時は左足首の負傷でリハビリ組にいた。千賀本人も「このままだと甲斐野は絶対にクビになると、怪我で終わっていくタイプだと思っていた。『甲斐野、それでいいのか』という話をしました」と明かし、甲斐野も「ゼロから考え方が変わりました」。歩き方1つから改善し、全てをマウンドに生かそうとしてきた。5年間の中であったターニングポイントの1つだ。

 笠谷なりの目線で「多分、それがきっかけやと思います。それで『今までではダメなんや』って思ったんじゃないですかね」と甲斐野が変わろうとする姿を見てきた。それまでと比較しても「だいぶ違いました。質問してもパッと返ってくるような人間じゃなかったんですけど、どんどん勉強して自分でわかるようになってきた感じでした」と、熱意が周囲にまで伝わるほど。知識を身に付け、理解を深めたことで、一歩ずつステップを踏んできた。

 甲斐野は1996年度生まれの同級生にメッセージを送る中で、笠谷には「頑張れって感じです。お疲れって書いておいてください(笑)」と笑顔たっぷりに話していた。2人にしかない距離感が伝わってくるような言葉に、笠谷も「別に話さなくてもわかってるでしょって感じだと思いますよ」と照れ笑いする。1軍のマウンドを目指して切磋琢磨した日々。ともに味わった栄光も挫折も、思い出も感動も、それぞれの地に必ず持っていく。

(竹村岳 / Gaku Takemura)