育成のユニホームは「生地が違う」 昨季から“変化”…川村友斗が苦言に抱いた悔しさ

ソフトバンク・川村友斗【写真:竹村岳】
ソフトバンク・川村友斗【写真:竹村岳】

2023年はオープン戦でブレーク&ファーム選手権でMVP…苦言に抱いた心境は

 自分の名前は、挙がりもしなかった。ただ悔しかった。ソフトバンクの川村友斗外野手が、ファーム施設「HAWKS ベースボールパーク筑後」で自主トレをスタートさせた。3年目を迎えた2024年、支配下登録を勝ち取ることができなければオフには1度、自動的に自由契約にもなる。勝負の年を前にして、牧原大成内野手、和田毅投手からの苦言を、1人の育成選手としてどう受け止めたのか。そして、実は2023年に育成選手のユニホームに加えられていた“変化”も明かした。

 北海道で生まれ育ち、北海高時代には甲子園にも出場した。仙台大を経て、2021年育成ドラフト2位でプロ入り。2年目の2023年はオープン戦から1軍に合流し、打率.357、1本塁打。通用するという確かな可能性を、自分の力で示した。ウエスタン・リーグでは68試合に出場して打率.260、6本塁打、20打点。巨人とのファーム選手権ではMVPに輝いた。

 2軍の公式戦では、育成選手は1試合で最大5人までしか出場できない。3桁の背番号選手を球団として多く抱える中で、川村は少なくとも2軍で出場する権利を自分の力で掴み取っていた。その中で、2人の主力選手が育成選手に対して厳しい言葉を発した。川村自身は、どんな心境を抱いたのか。まだまだ自分の印象を刻み込むには、足りないものがあることを突きつけられた。

「僕自身も育成選手ですし、上の人から見たら『育成』と一括りに見えてしまう。正直、悔しさもありましたし、仲田くらいしか名前も出ていなかった。自分も2年間やってきて、そこに名前が出なかった悔しさはありました。7月31日までになんとか2桁になって、1軍で活躍するにもまずは支配下にならないと権利もないので。打って守って走って、アピールしていけたら」

 和田が口を開いたのは昨年12月25日の契約更改。「見落としているかもしれない」とした上で「本当に這い上がりたいんだな、1軍でプレーしたいんだなって思うのは、仲田選手くらいじゃないですかね」と、名前を挙げたのは同期入団で同学年でもある仲田慶介外野手、1人だけだった。大勢いる育成選手、1人1人の違いはあれど「そういうふうに見られてしまうのは仕方ないこと。その中でも名前が挙がるようにもっとやるしかない」と、大先輩の言葉も受け止めるしかない。

ソフトバンク・川村友斗(左)と仲田慶介【写真:竹村岳】
ソフトバンク・川村友斗(左)と仲田慶介【写真:竹村岳】

 川村自身も昨季の4月23日、ウエスタン・リーグの広島戦(由宇)で死球を受け左肘を骨折した。その直後、2軍監督だった小久保裕紀新監督に言われた。「骨がくっつくまで待たなくても、自分がいけると思ったら言ってこい。絶対使ってやるから」。レントゲン写真を撮ってもまだ折れていたが、川村は小久保監督に出場を直訴しに行った。1か月足らずで実戦復帰した川村は「リハビリに行って1か月も離脱ってなったら、チャンスも減ってくる」と明かしていた。育成選手の中でも、熱い気持ちの持ち主だ。

 時代も少しずつ変わり、主力にとっては育成選手に欠けているように映るハングリー精神。和田は「ソフトバンクホークスというチーム名を背負ってプレーができるのは本当に贅沢なこと。ユニホームを変えてもいい。せめて2軍の試合に出たくらいからソフトバンクホークスのユニホームを着られるくらいに」とすら言い切った。実はホークスは、2022年から2023年にかけて育成選手のユニホームに変化を加えている。

 2022年は、育成選手も1軍の選手と同じユニホームを使用していた。しかし2023年となり、川村は「生地が違うんです。1軍の人みたいなメッシュみたいな生地のものは1年目の時にもらったんですけど、去年は綿(めん)のような生地になりました」と明かす。通気性にも明確な差と違和感を覚えた。川村も、2023年のユニホームは「試合では着ないですね」とキッパリ言う。

「(2022年のものが)まだ綺麗だったのもありますし、試合前に去年のやつを着ていました。試合になったらやっぱり涼しさとかもあるので」。年々によって、ユニホームに貼られるスポンサーも変化する。「用具の人がやってくれた。『貼り替え希望の人は出しておいて』と言われたので全部出しました」と、2022年のものを昨季も使えるように貼り替えてくれたそうだ。とはいえ年も明けたことで、もう2年も前のユニホームにあたる。「あんまり多くはない」と、1軍と同じユニホームはもう自分にとっても貴重なものだ。

ソフトバンク・川村友斗【写真:竹村岳】
ソフトバンク・川村友斗【写真:竹村岳】

 オフの戦力整備では上林誠知外野手、森唯斗投手ら実績のある選手でも戦力外通告を受けた。川村にとっても当然、危機感を抱く出来事で「珠(増田)とかも、プエルトリコに行く前に仲田と3人で宮崎でご飯を食べていたんです」という。プエルトリコまでの道中で、米国で3時間ほど乗り継ぎ便を待っていた時。スマートフォンの電波がつながり、増田も戦力外通告を受けたことを知った。「誰とも挨拶ができなくて、それは寂しかったです」。“明日は我が身”であることは、誰よりもわかっている。

「されど育成選手ですから、上の選手が言っていることがチームのこと。僕らはなんとかそこに入っていくしかない」。育成選手にもお世話になった人、恩返ししたい人がいる。1人1人の尊いストーリーがあるのは確かだが、3桁の背番号では1軍の勝利には貢献できない。結果が全てのプロ野球。自分の思いは、プレーで表現していくしかない。胸を張って、自分だけのユニホームで、1軍のグラウンドに立ちたい。

(竹村岳 / Gaku Takemura)