編成担当からの電話で帰福、球団幹部が待つ部屋での滞在時間は5分ほど
ソフトバンクから戦力外通告を受けた高橋純平投手は今季で現役を引退し、来季からは球団職員として働くことになった。12球団合同トライアウトを受験したものの、他のNPB11球団からのオファーはなし。独立リーグや社会人などで野球を続ける選択肢はあったものの、辞める決断を下し、第2の人生を歩み始めることにした。
あっけない幕切れだった。フェニックス・リーグ中のオフ前日のある日。夜7時頃、ホテルの自室で1人、寛いでいたところに電話が鳴った。球団の編成担当者からだった。「明日の朝の飛行機で福岡に帰ってきて」。短い電話だった。「若干、心の準備はしていた」と覚悟していたとはいえ、最初は何か別の要件ではないか、とも思った。
「最初はファーム選手権でドーピング検査の対象だったので、それに、なにか引っかかったのかなとかも考えました。トレーナーの方にも確認したんですけど、違ったので、そういうことか、と」
明日、戦力外通告を言い渡される――。時間が経つにつれて、その現実を受け止めた。「去年のオフも覚悟していましたし、今年も同じように1軍での登板がなかったので覚悟はしていました。でも、いざ電話が来たら、ポッカリと心に穴が開いたというか、震えたというか。自分の中で覚悟を決めていても、悔しい、寂しい気持ちが湧いてきました」。翌朝、宮崎から空路、福岡に戻ると、指定された市内のホテルに赴いた。
球団が用意した部屋に入ると、そこには三笠杉彦取締役GMと永井智浩編成育成本部長兼スカウト部長、別の編成担当者が待ち受けていた。「球団で話し合った結果、来季は契約をしないことを決めました」「セカンドキャリアの部分であったり、次にこういうことがしたいということがあれば、相談してくれたら力になるから」。来季の契約を結ばない旨を通告された。
球団幹部との会話はものの5分ほどで終わった。噂には聞いていたものの、それを現実に味わうと“あっけなさ”も感じた。「『わかりました。ありがとうございました』って言って部屋を出ました。正直、あっけないな、と思いました。こんな感じで終わっちゃうんだ、と」。フロント側の思いも分かる。毎年、何人もの選手に非情な通告をしなければならない。だからこそ「心を鬼にして、ではないですけど、あえて感情を出していない」と受け止めた。
湧いた“もう1つ”の感情「解放感みたいなものがあった」
体は元気だった。1軍登板こそなかったものの、今季は怪我もなく、投げ続けることができた。「怪我なく投げられていましたし、現役を続けたいという気持ちしか持っていなかった」。NPB他球団でのチャンスを求めてトライアウトも受験したが、現実は甘くなかった。NPBの2軍に来季から参加する新球団や独立リーグなどからの誘いはあったものの、すっぱりと野球を辞めることにした。
「電話を受けた時、実際に戦力外通告を受けた時に解放感みたいなものがあったのも正直なところなんです。怪我の多いプロ野球人生だったので、もう肘が痛いのを我慢しなくていいんだとか、今日はうまく投げれるかな、そもそも今日は使ってもらえるのかな、って、吐くぐらい不安に思いながら野球場に向かわなくていいんだって。そこから解放された感じがなかったかと言われれば、正直ありました」
高校3年の夏に負った左太もも裏の故障を抱えたままプロ入りし、2年目には右肩の不調を抱えた。2019年に1軍で45試合に登板してブレークしたものの、2020年は右肩、右肘を痛めた。2021年には開幕1軍入りを果たして10試合に登板したが、5月に右手薬指を骨折。2022年も内転筋を痛めて苦しんだ。相次ぐ故障に加え、自身のピッチングも崩れた。そんな苦しみから“解放される”と思ってしまう自分に気づき、現役を続けることはできないと思った。
8年間着たホークスのユニホームを脱ぐ。来季からは職員として球団で働く。「苦しいことが多い野球人生ではあったんですけど、ホークスだからこそ、それと同じくらい良い思いもさせてもらった。楽しい思いもたくさんさせてもらいましたし、野球が好きだった自分にとってチームメート、スタッフの方々、すごくいい球団だったと思います」。苦しみ抜いた8年を振り返る表情は晴れやかだった。
(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)