工藤公康氏の予言「150キロが出る」 小6だったドラ6大山凌を変えた“1対1”の時間

ソフトバンクにドラフト6位で指名された大山凌【写真:藤浦一都】
ソフトバンクにドラフト6位で指名された大山凌【写真:藤浦一都】

小学校時代に工藤公康氏と対面 授かった金言を“実現”させた野球人生

 ソフトバンクは4日、福岡市内の商業施設で新人選手15人の入団会見を行った。ドラフト6位で指名された大山凌投手は、東日本国際大からプロ入り。「本当に身が引き締まりますし、これからやっていくのが楽しみです」と胸を膨らませた。栃木県下野市出身。自身の才能を開花させることができた背景には、ホークスの元監督でもある工藤公康氏の“予言”があった。

 白鴎大足利高時代は、甲子園出場の経験はない。進路に選んだのは、福島県いわき市にある東日本国際大だった。南東北大学野球連盟に所属する大学で、リーグ戦では1年の秋から登板。3年春には全国ベスト4にまで進出し、一歩ずつ、投手としての成長を示してプロ入りを勝ち取った。

 最速153キロの直球に加えてスライダー、カーブ、ツーシーム、カットボール、スプリット、チェンジアップを操って総合力で勝負するスタイル。しかし「球速はもともと速かったわけではなくて、高校のはじめとかも身長も小さかった」と、試行錯誤を重ねながら自分だけのスタイルを見つけてきた。その原点は、小学校6年生の時。工藤公康氏と野球教室で出会ったことだった。

「中学校に上がる少し前ですね。そのタイミングでは硬式の野球チームにいたんですけど、新聞社か何かの野球教室で工藤監督が来られたんです。その時に、自分だけ硬式だったので、少し後に1対1で見てもらったんです。その時に言っていただいた言葉を実現してきているので、すごい人なんだなって思います」

 2002年3月生まれの大山。小学校6年生なら2013年にあたり、当時の工藤氏もホークスの監督に就任する少し前だった。通算224勝を挙げたレジェンドとの貴重な“サシ”の時間。「『これから高校に上がったら140キロは出る』と。『そこから大学とかその先に進んだ時に、ちゃんと鍛えて、好き嫌いなく食べていたら150キロが出るようになる』と言われたんです」と、今でも胸に残る言葉だ。工藤氏の眼力だからできた“予言”。そして大山の努力があったから、今この場所にいる。

「わかる人にはわかるんだって思って、今になって結果に表れているので、工藤さんの言葉はより自分の中に浮かんできました」

 3日には毎年恒例、新人選手とフロント、首脳陣らとの「ウェルカムパーティー」が行われた。同じテーブルで驚いたのは、斉藤和巳4軍監督。憧れの投手として名前を挙げる大先輩と、思っていたよりも早く訪れた接点に「すごくオーラを感じて、めちゃくちゃ緊張しました。でも話してみたら、気を遣ってくれたのかもしれないですけど、面白かったです」と振り返る。プロ入りしたからこそ、憧れの存在との待望の対面を果たすことができた。

 斉藤和4軍監督が2度目の沢村賞に輝いたのは2006年で、大山にとっては物心がつく前だったかもしれない。それでも動画サイトを見ていれば、雄叫びをあげる斉藤和4軍監督の姿に自然と目を奪われた。「マウンドでのああいう姿が、自分の中では一目惚れに近いような……。ルックスもすごくカッコよくて、憧れます」と話す目はキラキラに輝いていた。即戦力が期待されるだけに、斉藤和4軍監督からも「4軍にいる選手じゃない」と言われたそうだが、1軍で結果を出すことで、憧れに一歩ずつ近づいていきたい。

 自信がある球種はカーブだといい「どっち(カウント球と決め球)にも使うんですけど、どちらかというかカウント球です。バッターの打ち気をそらせるように」とうなずく。一方で、課題の変化球にはスライダーとフォークを挙げた。「千賀さん(滉大投手、メッツ)ならフォークがありますし、自分を代表するような球種を早く作れるように」と足元を見つめる。一歩ずつ駆け上がってきた野球人生、6位での入団でも、プロの世界で真っ向勝負していく。

 入団会見の第一声では「入団」を「入学」と言い間違えてしまい「すごく恥ずかしかったです」と顔を赤らめる姿も初々しかった。1軍で活躍を続けていれば、工藤氏と再会する日も遠くないだろう。マウンドに立つことで、支えてくれた人たちに必ず恩返しをする。

(竹村岳 / Gaku Takemura)