なぜ前田悠伍に「41」が? 千賀滉大を継ぐ深い意味…実は存在した“もう1つの候補”

ソフトバンク入団会見に参加した大阪桐蔭・前田悠伍【写真:藤浦一都】
ソフトバンク入団会見に参加した大阪桐蔭・前田悠伍【写真:藤浦一都】

「自分も千賀選手のようなエースになりたいというのはずっと思っていること」

 ソフトバンクは4日、福岡市内の商業施設で新人選手15人の入団会見を行った。ルーキーたちにとって、初めてプロのユニホームに袖を通す瞬間。前田悠伍投手は41番を初披露だ。「千賀さんのようなエースになれたら。チームのエースとして活躍されていたので、信頼されるような投手になりたいです」と胸中を語った。高校時代に実績を積み、1位指名を受けた18歳が、なぜ41番を託されることになったのか。実はもう1つ、候補となる番号も存在した。

 前田悠は滋賀県出身。大阪桐蔭高に進学し、1年秋からベンチ入りを果たした。2年春の甲子園では優勝に貢献。3年夏を終えた後には18歳以下の侍ジャパンにも選出されて世界一に輝く。幼き頃から常に第一線で活躍し、ドラフト会議では「外れ1位」ながらも3球団が競合した実力者。「どんな場面でも強気な投球ができること。走者を出しても点を取られないこと」と自身の持ち味を語る。

 ホークスファンにとって41番といえば、思いつくのは1人だろう。2022年まで在籍し、NPB通算87勝を挙げた千賀滉大投手(メッツ)が背負った番号だ。2023年は空白だった番号で、期待を背負って前田悠が受け継ぐことになった。一体、どんな経緯でやり取りが行われたのか? 前田悠本人が、その一部を明かす。

「自分が『41番がいい』というか、それは言いました。チームからも41番というのは言っていただいたので、そうやって決まりました」

 現在、空白となっている番号の中で、41番は前田悠の希望でもあったことを明かす。11月29日、大阪市内で行われた仮契約の席で球団側から希望を聞かれたそうで「より一層、覚悟を持ってやらないといけない」と、重圧を背負うこともすぐに決めた。「(球団からも)『千賀選手のようなエースピッチャーになってほしい』とは言っていただいた。野球の技術だけじゃなくて、行動や言動が伴わないと真のエースにはなれないと思う」と、18歳が言い切るのだから頼もしい。

ソフトバンク入団会見に参加した新入団選手たち【写真:藤浦一都】
ソフトバンク入団会見に参加した新入団選手たち【写真:藤浦一都】

 仮契約の場に同席していたのは、福山龍太郎アマスカウトチーフ。補足するように、前田悠との背番号についての会話を明かす。

「10番か41番のどちらかを、と思っていました。10番は大竹(耕太郎投手、阪神)の番号でもありますし、10番台の番号ですから。それか、千賀の番号かというところで、本人が41番だという話がありました」

 10番台で空白だったのは10番と15番だけ。15番は2000年10月に現役選手ながらにこの世を去った藤井将雄さんの番号なだけに、実質の空き番は10番だけだ。若い数字を与えることも球団の前田悠に対する期待と評価の表れだったが、偉大なエースとの二者択一となり、前田悠自ら41番を選択した。福山スカウトも「エースになってもらわないと困る。それくらいの資質も持っていますし、人間的にも技術的にも素晴らしい。うちの現時点でも、左でトップランクの投手」と球団の思いを代弁する。

 千賀がプロ入りした2011年の時点で、福山スカウトはスカウト業を務めていた。千賀の担当ではなかったものの、3桁の番号で体の線もまだまだ細かった時代から知っている。「最初は普通の投手でしたけど、腰かどこかを痛めてから、すごくウエートトレーニングをするようになった」と懐かしそうに語る。“千賀の後”に41番を託すという重みも、球団として当然理解している。「41番は千賀が作ったエース番号ですから。それを引き継いで、さらにエース番号にするくらいの気持ちでやってもらいたい」と背中を押した。

「器にしかるべき選手じゃないと、やっぱりファンの方々も千賀のイメージがありますから。それに託せる番号、人物でないと。僕は武田(翔太投手)の担当でしたけど、あいつも1年目からやれると思っていましたから。前田も1年目からやれると思っています」

 武田は1年目の2012年から8勝を挙げ、千賀は3年目から51試合に登板するなど、若き頃から結果を出してきた。福山スカウトも、前田悠の能力と内面への期待を何度も口にした。当然、“千賀の後”を託された意味は前田自身が一番理解している。今やメジャーリーグで活躍する大先輩の道をたどり、いつかは超えていく覚悟だ。

「エースという立場でチームを勝ちに導いてきた印象があります。自分も千賀選手のようなエースになりたいというのはずっと思っていること。1日も早く1軍に入って、背中を追っていくじゃないですけど、追い越せるような選手になっていきたいと思っています」

 アマチュア時代からエースを託されて、常にチームの勝敗を背負う存在だった。色紙に記した目標は「200勝投手」だ。無限の可能性を秘めた18歳が、大きな期待を託された。

(竹村岳 / Gaku Takemura)