津森宥紀は「友達の連絡の方が早かった」 藤井皓哉は「頭が真っ白に」
ソフトバンクは26日、都内のホテルで開催された「2023年プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」で支配下7選手、育成8選手を指名しました。そこで、秋季練習に参加した選手に、ドラフト会議の思い出を聞いてみました。まずは投手編。津森宥紀投手、大津亮介投手、藤井皓哉投手、斉藤和巳投手コーチの4人に質問。会見場でカメラマンが寝ていたってどういうこと? なんと指名の時に名前を間違えられた記憶がある選手も。初々しい記憶を振り返り、新人選手にエールを送りました。
・津森宥紀投手(東北福祉大から2019年のドラフト会議で3位指名)
――指名された日のことは覚えていますか?
「うっすらとは覚えています」
――指名された時の感情は。
「(名前を)言われる前に、友達からの連絡の方が早かったんですよ。ちょうど自分はCMの後の一発目だったので、友達からのLINEが早くて(笑)」
――指名の瞬間に連絡が一気に来た感じ。
「バッて連絡が来て。ちょっとはホっとしましたけどね」
――会見場から見た景色で、覚えているものはありますか。
「自分は最初、大学の寮にいて、選ばれてから(会見場に)行ったんですけど。入った瞬間、今まで見たことない記者の数、カメラマンの数がいて。カシャカシャ(シャッター音が)すごかったです」
――涙は込み上げませんでしたか?
「嬉しかったですよ。緊張と、記者の数と、嬉しさがあった感じです」
――新人たちが入ってくるのは新鮮ですか?
「新鮮というより、また勝負が始まるなっていう感じですね。入ってくる子たちも能力が高い子ばかりだと思いますし。それに負けないように頑張ろうという思いです」
・大津亮介投手(日本製鐵鹿島から2022年のドラフト会議で2位指名)
――1年経った今も、覚えているもの。
「覚えています。僕はビックリが勝りました。『え!?』っていう。コーチが泣いてくれていたので、それを見て僕もウルっときました」
――大津投手は泣いていませんでしたか?
「多分、泣いたと思います。多分」
――どこで見ていた。
「野球部の寮で見ました」
――2位指名という高い評価。
「けど、まさかホークスの2位っていうのは思わなくて。他の球団でも上位と言われていたので。2位か、遅くて3位って。準備はしていたんですけど、ホークスで来たのでビックリしました」
――福岡の球団からの指名は嬉しかった。
「嬉しかったです! 一番行きたかったので」
――ドラフト会議が終わってからは最初に誰に連絡をした。
「お父さん、お母さんですかね」
――どんな反応でしたか。
「聞いたことないような声でした(笑)。それくらい喜んでいました」
――後輩が入ってくることについては。
「投手で入ってくるっていうことは、ライバルが増えるので。自分に厳しく、またイチから頑張らないといけないなって思います」
――もしもの話ですが、1年前の自分に、何かアドバイスができるなら。
「1年目だから、絶対に張り切って投げると思う。そこを自分の中で抑えて。オープン戦期間が大事なので、そこに向けて、開幕1軍につなげられるピッチングをしてほしいですね」
――競争を勝ち抜くためにも、オープン戦が大事。
「オープン戦ですね。僕はなんとか(開幕1軍に)入れましたけど。そこ(オープン戦の結果)が良かったかなと思います」
――来季は先発に挑戦する。後輩が入ってくることは背筋が伸びる。
「そうですね。危機感を持って。若い子はいい子が多いので、負けないように頑張りたいと思います」
・藤井皓哉投手(おかやま山陽高から2014年のドラフト会議で広島に4位指名)
――指名された日のことは今でも覚えていますか?
「はい、なんとなく……。嬉しかったなと思います」
――2014年の4位指名で広島に入団した。指名はほぼされるという雰囲気だったんですか?
「本当にわからなかったので、ずっと待っていて。1つ覚えているのが、横に監督が座っていたんですけど。3巡目くらいで、真面目な感じじゃなくて冗談っぽく『これ、ないんちゃう……。せっかくみんな来てくれたのに』って言った、その直後に呼ばれたのは覚えています」
「それで、僕の漢字って難しいので。『皓哉』の『皓』が。違う字で最初出ていたと思います」
――最初にドラフト指名される、あの画面に映った名前が間違っていたんですか?
「そうです。画面に映っている『皓』が確か違うかったと思います。『え、これ違うやん』って思ったので」
――それはハッキリ覚えている。
「似ている字があるので、その似ている字の方が出ていて。『字、違うわ』って思った記憶はありますね」
「あとはテレビがあって、その奥にカメラマンの方がいたんですけど。カメラマンさんが寝ているっていう(笑)」
――4巡目まで我慢できなかったんですね(笑)
「3巡目くらいにウトウトしていて。監督と笑いながら『これ、すぐに指名されたらあの人慌てるぞ』って話をしたのも覚えています」
――周りを見るくらいの余裕はあったんですね。
「そうですね。呼ばれた瞬間は頭が真っ白になりましたけど。1位とか2位は絶対にないと思っていたので。全然周りは見えていました。記者の方が多いなとか」
――NPB志向は強かったんですか?
「結果的にはそうなるんですけど、行ける時に行きたいなっていうのは正直、思っていました。大学に行ってから、とかっていう考え方は僕は好きじゃなくて。行ける時にチャレンジしたいと思っていましたし、そういうものだと思っていましたので」
――新人を見ると新鮮な気持ちになる。
「もう10年くらい経ったのか、とは思いますね」
・斉藤和巳投手コーチ(南京都高から1995年のドラフト会議でダイエーに1位指名)
――指名を受けた日のことは、今でも覚えていますか?
「覚えているよ。学校にいたかな。テレビで見てた」
――どんな感情になりましたか。
「自分が今まで、テレビで見ていた状況が目の前にあったから不思議やったけど」
――指名の後には会見も行った。
「そんな立派な会見場ではなかったけどね。本当、校舎で」
――今ほど情報も発達していなかった時代だった。
「俺はもう『ダイエーしか行かへん』って公言していたからね。裏金がどうのこうのって週刊誌に書かれたらしいけど、子どもの俺にはわからへん。知ったこっちゃない」
――ある程度、指名されることはわかっていた。
「ダイエーからそう言われていたからね。1位で行くって、最終的には。他のところから指名される可能性もあったからそこはわからへんけど」
――当時からダイエーへの憧れが強かった。
「ダイエー1本やったからね」
――誰かに喜びの声は伝えましたか。
「誰にも連絡なんてしてないよ。友達みんな目の前にいたしね」
――家族には?
「両親はその時、学校来ていたんかな。全然前のことやから覚えてないけど。別に家に帰ったらいるんやからさ(笑)。その時ケータイなんてなかったし」
――何度見ても、新鮮な気持ちを思い出す。
「そりゃあね。ドラフトの時が一番、気持ちが高ぶっている。でもそれじゃあアカン世界やからね。ゴールでもない。スタートでもないからね、ある意味では。入ったらわかるけど。そういう感覚みたいな子がおるんかな、俺みたいな呑気なやつも」
――1位指名は大阪桐蔭高の前田悠伍投手で、同じ高卒から入団してくる。プロの先輩として、前田投手を含めた新人たちに言葉を送るなら。
「順位は関係ないよ。厳しい言い方かもしれないけど、それはただ球団が決めた順位であって。入ったら1位とか関係ないから」
――這い上がっていく気持ちが大切。
「そうね。ドラフト1位のやつもそれは一緒やから。ただ、チャンスの回数とか、スタートというところはそれぞれ違うかもしれないけど、だからといって差があるわけじゃないし。勝ち抜かないといけないのは誰でも一緒やから」
――斉藤和コーチも、そんな気持ちでプロ入りした。
「俺はそんな意識が高い選手じゃなかった。今の選手はそこらへんの意識が高い選手は多いと思う。さっきも言ったけど、順位は関係ないからね。結果が全てやし、育成であっても、支配下の下位指名であっても1位のやつに勝っていけるんやから」
(竹村岳 / Gaku Takemura)