悔しさも挫折も、全てを味わった日から1年が経った。ソフトバンクの泉圭輔投手にとって、忘れられない日付だ。昨季の143試合目、10月2日のロッテ戦(ZOZOマリン)で敗戦投手となり、人目をはばからず涙を流した。絶対に消えない記憶となってしまった中、泉を突き動かし、励まし、モチベーションとなってくれたのが石川県にいる家族の存在だった。
2023年シーズンは開幕1軍を掴んだものの、右手薬指の感染症となってすぐに抹消。5月に昇格したものの、3試合登板にとどまり防御率16.88と結果を残せなかった。ウエスタン・リーグでは46試合に登板して4勝2敗2セーブ、防御率4.18。再び1軍に上がれるだけの結果、内容を見せられずにいる。今も向き合い続けている“10.2”。1年が経った今、泉が思うこととは――。
「あの日は、忘れられることは一生ないと思う。あの日を境に、いち野球人として野球選手として成長できたらと思っていましたけど、それが今年はできなかったのも、やり返さないといけないと考えすぎたのも良くなかった。ただ、いつかは、今年1軍は優勝は逃してという現状を踏まえると、なんとかもう1回優勝するために、自分が力になっていないとダメだなと。この1年、改めてすごく思います」
今季のグラブには刺繍で「10.2」と刻んだ。しかし「ダメだなって思って。去年のことですし、そこに引っ張られるような気もして。周りからもイジられましたし(笑)。すぐにマジックで上から消しました」と“付き合い方”は上手くいかなかった。絶対に勝たないといけない試合で、敗戦投手になってしまった結果。その“呪縛”とは、今も闘っている。
決意を新たにして、福岡に戻ってきた。“10.2”に逆転3ランを許し、結果的にチームは優勝を逃した。昨年末に石川の実家に帰省した時も「家族もみんな(ロッテ戦を)家で見ていて、誰も喋れなくなるくらい落ち込んでいたみたいです。親も僕のことはやっぱり心配だったみたいで」。優勝していれば昨季は優勝旅行も予定され、そこには家族も連れていくつもりだった。優勝を逃したのは泉だけの責任ではなくとも、結果で親孝行がしたかった。
ソフトバンク・泉圭輔のグラブ【写真:竹村岳】
プロ入り後、1度だけ家族を旅行に連れていったことがある。両親、兄、妹の家族に石川県内で温泉旅行をプレゼント。その時だけは野球から離れ、家族孝行をしたが「親に予約を任せたんです。僕はいくらでもお金を出すからいいところにしようと話していたんですけど。遠慮して、普通のところだったんですよ」。自分なりに精一杯、背伸びをしたつもりだったが、次男でもある泉に両親も遠慮したそうだ。だからこそ自分の腕で、もっと家族を喜ばせてあげたい。
「今年こそは優勝旅行に家族を連れていけたらいいなという話を(年末に)しました。それなら、僕が予約していいところに連れていきたいなと、今年は特に思っています。どうせ何か(親孝行)するなら、もっともっと喜んでもらいたいですから」
3月2日に26歳となり、家族からは紺色のネクタイがプレゼントされた。同世代のほとんどは高校か大学、続けたとしても社会人で野球選手としてのキャリアを終える。この年齢まで野球ができていることこそが何よりの恩返しだ。「テレビで見られる状況で野球ができているのは恩返しなんですかね。でもその一つ上をいけるように、何かしら形で恩返ししたいです」。尽きない家族への感謝が、泉を突き動かしている。
両親は2月の春季キャンプも見に来てくれていた。7月のオールスター休みには、久しぶりに実家に帰省。「妹はキャンプに来ないので、大好きな妹に会えるのが一番楽しみです。財布を開く準備はいつでもできてます」と笑いながら、家族と過ごした時間を喜んでいた。今は苦しく、我慢の時だとしても、家族だけは味方でいてくれる。だから、前だけを見て頑張れる。
泉は昨シーズンを終えた後、もう1度自分を奮い立たすことができた大きな要因に、ファンの存在をあげていた。“10.2”の後に自身のSNSに届いたのは、誹謗中傷をかき消すほど、たくさんの励ましの声だったからだ。自分の現状も踏まえた上で、ファンにメッセージを求めると、泉らしく丁寧な、誠実な言葉だけが並んだ。
「去年のちょうど1年前、ああいうことがあってから、何も今年は貢献できていない申し訳なさがもちろんありますし。いろんなところで借りを返すと言ったシーズンだったんですけど、思うようにいかないところもあったし、自分の実力が足りていない。その現状に自分も納得いっていないですし。1軍はシーズン、CS、日本シリーズの可能性が残っているので。そこに向けた準備はしていきたいと思っています」
「去年の悔しさというのが、自分の中で空回りの原因になっているというのは今年を通して思ったので。1年が経って、考えすぎないようにと言ったらあれですけど、人生の大きな経験として捉えて。あの経験をいいふうに変換していけたら。あと少しですけど、何があってもいいようにという準備はしたいと思います」
あの日打たれたことは“失敗”なんかじゃない。足元だけを見つめる泉圭輔は、まだ何も終わっていない。